2011年1月8日

善部のねこ塚(横浜市旭区)

善部のねこ塚伝説

 最近まで「善部のねこ塚」の存在をしらなかった。平成21年秋、旭区誕生40周年記念事業の一環で新たに石碑が建てられたことが新聞に掲載された。そもそも元禄時代にお婆さんが猫連れで巡礼していたということに驚くのだが、よほど絆が深かったのだろう。お婆さんが飢えと疲れで亡くなった後も傍らで鳴き続け、村人がやってくると安心したのか後を追うように猫も死んでしまう。ほろりとさせられる言い伝えにより地元ロータリークラブも後押ししてのねこ塚周辺整備となったようだ。
ねこ塚
元禄の頃、巡礼中のおばあさんが善部の村を通りかかり、飢えと疲れのため亡くなってしまいました。そばで一匹のねこがしきりに鳴いていましたが、間もなく後を追うように死んでしまいました。村人はその場におばあさんとねこを埋め、塚と石碑を建てて供養しました。そこは「ねこ塚」と呼ばれ、かわいがっているねこや犬が死ぬと埋めたということです。現在は場所も少し移され、ねこや犬が埋まっている塚はなくなっています。(旭区観光協会『緑と水と歴史にふれあう 旭区散策ガイド』平成15年 より)

ゴルフ練習場の脇にひっそりと

1月8日 相鉄本線希望ヶ駅から坂を下りながら南下していく。そのまま行けば自然と東海道新幹線にぶつかるはず。しかし、善部西自治会館の分岐で左に入るべき所、そのまま右に入ってしまった。ちょうど「妙蓮寺・ねこ塚」の案内が電柱にあったので行きすぎたことを知る。妙蓮寺の西側に出て新幹線のガード下をくぐり抜け、横浜隼人高校に沿って善部ゴルフの南側へ。親切にも「史跡 ねこ塚」との目立つ指導標が。地元も史跡として大事にしているようだ。練習場の金網柵に沿って北へ100mほどでねこ塚だ。遠回りになったが無事にねこ塚に辿りついた。善部ゴルフのパター練習場の脇で、おじさん達がねこ塚など興味なさそうにパターにいそしんでいる。

ウオーキングコースとなっている
ねこ塚は「史跡」扱い。ゴルフ練習場入り口で

 由来を記した石碑は立派なもので、寝ているような猫のオブジェをのせた凝ったつくりだ。お婆さんのそばで力尽きた姿をあらわしてたのかもしれない。あるいは村人が来てくれて安心しきった様子にも見える。石碑の左側にはねこ塚碑が立っている。高さ25センチ、幅15センチほどの小ぶりな碑だ。表には「元禄七年 妙法門法妙喜信女 十月二日」と刻まれていた。元禄七年(1694年)は今から317年前となる。旧暦の十月二日というと現在の十月下旬で、寒い季節へ向かう中での出来事だった。化けたとか踊ったとかという猫伝説が多い中で、実話としても通用する物語ではある。ただし、猫を連れての巡礼はどうなのかと思うし、行き倒れたお婆さんがいたのは確かだろうが、そばで村の野良猫が鳴いていただけなのかもしれない。

ねこ塚はパター練習場脇にある
少し小ぶりのねこ塚碑

 帰りは林の中の道を北へ向かって下る。すぐ林の出口となり、ここにも指導標があった。当初はここを通ってくるつもりだったから、ねこ塚へは南から北へ抜けるという回り道をしたことになる。新幹線の下を抜けると道路をはさんで向かい側が妙蓮寺と善部神明社だ。ついでだから神明社から妙蓮寺へと立ち寄っていく。石碑を建てるときにこの寺はかかわっていたのだろうか。妙蓮寺の石段から新幹線をはさんでねこ塚のある小高い森がよく望めた。かつてこの一帯は善部谷とよばれたが、新幹線とそれに平行する車道が谷を抜けるように走っている。中田の踊場のときもそうだったが、目の前の丘陵地が300年も前はどのような風景だったのだろうか、といつもながら思う。かつての里山の変貌のなかにかろうじてねこ塚はひっそりとたたずんでいる。

妙蓮寺山門
妙蓮寺の参道石段からねこ塚の林を望む
この猫は何だ! 希望ヶ丘駅への帰途
珍しい?たけし招き猫。希望ヶ丘駅への帰途