2010年10月11日

湯島聖堂から谷中へ

 学生時代に通ったお茶の水だが、聖橋を渡った神田川北側はあまり歩いた記憶がない。それではと、湯島聖堂、神田明神、湯島天神と歩き、久しぶりに谷中にも行ってみた。

 聖橋から湯島聖堂にかけては、キャンバスに向かっている人が多い。聖橋からの神田川や聖堂周辺も恰好の画題材となるのだろう。聖堂の南側から仰高門をくぐり、杏壇門を入ると大成殿(孔子廟)。屋根の四隅に猫顔の獣が目につく。

湯島聖堂の鬼龍子。顔は猫科

 大成殿に入ると(土・日・祝日公開、有料)、ここにもいた。説明によると、「鬼龍子」という想像上の霊獣で顔はやはり猫科である。関東大震災で焼け落ちたものを展示している。
鬼龍子(きりゅうし) 
聖堂の大成殿屋根、流れ棟の四隅角に鎮座。寛政11年(1799)聖堂の規模が史上最大当時の鋳造である。大正12年(1923)の関東大震災の際、罹災し焼け落ちたもの。鋳銅製、重量93.5㎏
形態は、猫型蛇腹(豹型龍腹)で牙がある。様態は狛犬に似た姿で、顔は猫科の動物に似ており、牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹・龍腹となっている。鬼龍子は、想像上の霊獣で、孔子のような聖人の徳に感じて現れるという。古代中国伝説の霊獣「虞(すうぐ)」によく似ている。 右脚に次のような銘がある。寛政十一年八月、御鋳棟梁 松井大和 紀 清政 (大成殿内の説明板より)
関東大震災で焼け落ちた鬼龍子(大成殿内)

 昌平坂から聖堂北側へ回ると、屋根猫発見。こんな都心の聖堂にも住みついているのか。神田明神や湯島天神はにぎやかすぎて、そそくさと退散。猫もいないし、面白くない。ここまできたら谷根千でしょう。地下鉄で湯島から根津へ移動する。
 

鬼龍子のつもり? 湯島聖堂の猫様

 久々の谷中界隈。年をとると古い街並みが心地よい。言問通りからふらふらと引き寄せられるように三浦坂のねんねこ家へ。看板猫にあいさつしてから二階に上がってコーヒータイム。座っているテーブルに猫がピョンと上がって、さらにその上の寝床に入って丸くなった。まだ注文したばかりでよかったが、コーヒーがあったらぶちまけられていたかも。

槍立て中失礼!ねんねこ家の看板猫

 谷中霊園に向かって三崎坂をボーっと歩いて、ついつい永久寺を通り過ぎてしまう。この寺は仮名垣魯文の菩提寺で、榎本武揚が魯文に贈った猫の供養塔「山猫めをと塚」があるのだ。近いうちにまた来よう。霊園手前にさしかかると古い家の屋根に猫発見。猫町・谷中らしいなごみの景色である。

屋根猫
 谷中霊園に入ると東京スカイツリーが遠望される。墓猫の名所といえども、探さなければ猫はなかなか見つからない。徳川慶喜の墓の案内板に導かれて奥に向かうと、なにやら夫婦が猫に話しかけている様子。なかなかおっとりした毛並みのいい墓猫だが、近くにいたもう一匹は撮影するのもはばかれるようなボロ猫だった。

谷中霊園から東京スカイツリー遠望

谷中霊園の墓猫

 もみじ坂からいったん日暮里駅脇に出て、谷中銀座商店街へ。ちょうど、夕やけだんだんの階段にさしかかると、正面の夕陽がまぶしい。みんな右側のマンションを見上げて携帯やカメラをかざしている。3階のベランダから茶トラ君が夕陽をじっと見つめているのだ。夕やけだんだんの名物猫になるだろう(すでにそうなのかも?)。商店街をぶらついて千駄木駅に着く頃には薄暗くなっていた。

夕焼けを見つめる猫(谷中銀座の夕焼けだんだん)