2011年3月25日

震災のまち・石巻と「初めての山」

 震災発生から2週間。あきらめかけていた安否がようやく判明してホッとしている。一番心配された叔母の無事が、同じ石巻の親戚から内陸部の親戚へと伝わったという。東北道が通れるようになり、大崎市の墓の様子を見に行った兄から今夜の吉報。しかし、これからが本当に大変だ。多くの悲しみを共々に乗り越えて、再び活気ある港町として蘇ることを切に願う。

昭和32年 石巻

兄弟三人、浜辺で遊ぶ
にいちゃん二人
刀がわりの棒きれもって
上のにいちゃん長い刀
次のにいちゃん短い刀
末っ子オレは、お宝係でおおいばり
膝小僧にガキの勲章つけておおいばり

毎年夏休みは石巻に行くのが恒例で、祖父の暮らす門脇町や渡波の叔母宅で幾日かをすごした。海も山もない平野部の子にとって、潮の匂いのする港町は輝いて見えた。逆に浜育ちの従兄弟を水田に囲まれた我が家に招いてもつまらなそうにしていた。叔父は遠洋漁業の船乗りでなかなか会うこともなかったが、ソ連警備艇に拿捕されたときのことを冒険物語さながらに話してくれた。銃を向けられたときは、もう日本には帰れないと思ったという。その叔父も銚子港で亡くなってしまう。船倉を点検しようとして蓋を開けたとたん、溜まっていたガスを吸い込んで意識を失い、そのまま船倉に転落したのだ。海の仕事が死と隣り合わせと知っている叔母は、その後も気丈で明るかった。
ひとり出かけた日和山
ちいさな低い山だけど
登りわくわくセミしぐれ
丘にたどれば北上の
河と海とがはるけくも
眼下に広がるうれしさで
山への憧れ芽生えきし

石巻には市街地の真ん中に小高い日和山(標高56m)がある。小学三年生のころ、門脇小学校前の祖父宅からひとりでこの山に登った。小学校の左から回り込んでいけば自然と頂上公園に導かれていった。眺望に満足して、帰りは急坂を下る。バス道を右に行けば再び小学校に辿り着いた。見知らぬ土地で感だけが頼りのハイキングだった。大げさだが、初めての山、初めての単独行。山行一覧の№1は日和山である。

2011年3月6日

山形県大蔵村の猫岳伝説に手がかり

永松鉱山と猫滝の伝説

 8年前に登録した国会図書館の利用登録証期限がとうに過ぎてしまっていて、改めて登録し直しに行った。ついでに資料収集もするが、複写コーナーや閲覧室の配置が変わっていた。利用登録証があると入館手続きがスムーズで、資料請求も端末からできるようになっていた。かつては端末から資料の請求記号を検索し、いちいち請求書に手書きしていたので便利。計8冊ほど資料をチェックすることができた。

 その中で大きな収穫が一つ。山形県最上郡大蔵村の猫岳(977m)には猫伝説があることは知っていたが、具体的な出典はよくわからなかった。今回は『大蔵村史 集落編』に手掛かりとなる伝説を見つけた。

 猫岳の南西にあった永松鉱山にかかわるものだ。永松鉱山の最盛期(元禄年間)のころは3000人もの人が働いていた。危険な仕事ゆえ病人や死者も多く出たが、麓の寺で供養できない罪人など素性のわからない人の死体はある沢に捨てたのだという。その沢には山猫が棲んでいて死体を食べては大きく成長し、はては死体の怨念が乗り移って人間をも襲うようになった。困り果てた村人の祈りが通じて、猫の化け物は葉山(1462m)の権現様に藤蔓で退治される。また、この沢には大きな滝があって「猫滝」と呼ばれ、化け猫の怨霊を恐れて村人は決して近づこうとしないという言い伝え。前半の苛酷な鉱山労働と結びつけるところなどは事実かと思わせる、すさまじいあらすじである。

 猫の化け物がいた沢とはどの沢なのか不明だ。2万5千分の一地形図「葉山」では永松鉱山跡近辺に滝記号のある沢が一つだけある。これが「猫滝」なのかどうか。猫岳の北西には赤砂山から発するネコマタ沢が銅山川左岸から注いでおり、伝説との関連は濃厚だが確証はない。いずれにしても猫の伝説をもっとあぶり出さないと、猫岳、ネコマタ沢、猫滝が結びつかない。

駆け込みで「平山郁夫展」へ

 適当に資料漁りを切り上げ、明日(6日)閉館の迫る「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」(国立博物館平成館)を駆け込みで観に行く。土曜日とはいえ100m以上の列ができた昨年の「阿修羅展」ほどの混雑ではない。目玉は薬師寺の障壁画(大唐西域壁画)で、エベレストビューからのヒマラヤ巨峰群を描いた「西方浄土須弥山」のスケールには圧倒される。

国立博物館平成館入り口の大ポスター

 常設展も時々面白い展示替えがあるようだ。たまたま平成館考古室で特別展示されていた一つの土偶に引き付けられた。宮城県大崎市田尻の恵比寿田遺跡から出土した縄文時代晩期の代表的な遮光器土偶(重要文化財)だ。おなじみのユニークな外見で宇宙人説もあるが、同郷出身者としては「モンペをはいたばあちゃん」にも見えてしまう。昭和18年に出土したとのことで、すぐ国立博物館行きとなったものか。郷里からこんな貴重なものが発掘されていたとは知らなかった。たまには里帰りさせて地元の人に実物を見せてやってほしいものだ。(常設展示物は撮影禁止と表示されたもの以外は撮影可)

故郷離れて60年以上の土偶と初対面