2001年11月11日

火の玉となって阿蘇・根子岳を見に行く

 11月10日 猫雑誌の依頼記事に使う写真撮影のため夜行日帰りで阿蘇に行った。猫岳についての記事なのでイメージ写真としてはどうしても阿蘇・根子岳(猫岳)がふさわしいと思った。あのギザギザの怪奇な山容が猫の耳を連想させて猫岳の象徴として映る。

 東京発博多行きの新幹線終電を当日予約できた。仕事を終えてからの出発。博多から鹿児島本線に乗り継いで熊本に着いたのは深夜となった。駅の中でステビバしようにも適当な場所がない。酔っぱらいやホームレス風の人もウロウロしていて安心してベンチで横にもなれない。バスの待合所に行ってみたり、いろいろ場所を変えたが、結構寒くて眠れぬまま南阿蘇鉄道高森線の始発時刻となった。終点の高森駅から阿蘇山が見えるが雲がかかっている。早朝の駅前で、こちらを待ち受けていたかのように黒ちゃん発見。赤い首輪がおしゃれだ。

猫岳修行はこれからですか?(南阿蘇鉄道高森駅前)

 駅前からタクシーに乗って根子岳の撮影ポイントを聞く。国道265号沿いの休暇村がベストとのことで、そこで降ろしてもらう。根子岳上部の雲はどんどんとれてきてチャンス。教えてもらった通り根子岳南面の眺めは最高だ。朝日の当たり具合もちょうどよい。

休暇村南阿蘇からの根子岳(猫岳)

 撮影ポイントを探しながら国道を大戸ノ口方面に上がって行く。高森温泉館を過ぎ、洗川(そそがわ)あたりまで来ると木々が邪魔になってきたので撮影を切り上げる。昨夜から寒い思いをしていたので高森温泉館に立ち寄る。9時30分開館までで少し待った。阿蘇五岳の眺めのいい大浴場であった(入浴料400円)。さっぱりとしたあとは晩秋の阿蘇の眺めを楽しみつつ高森駅へ下っていくのみ。まるで火の玉のごとく根子岳修行にいく猫のように、夜行日帰りで阿蘇に来てしまったが無駄ではなかった。登る山はもちろんいいが眺める山もいい。何度も根子岳を振り返り再訪を誓う。今度は北面から「ヤカタガウド」のコースを登りにこよう。

休暇村からR265を更に登って
高森温泉館から見た根子岳
高森駅へ下る途中から。雲がかかってきた

猫の王と猫岳参り

 阿蘇・根子岳(猫岳)ほど猫にまつわる伝説に富んだ山もない。猫岳には「猫の王」がすみ、除夜あるいは節分の夜に猫が集まって会議を開いた。「猫岳参り」と称して猫岳で修行した猫は、出世して化ける力もつけ、里に戻ると猫の頭領となった。修行の印に耳がさけていたという。猫岳山中には猫屋敷を構え、道に迷った旅人をまどわして下働きの猫に変えた。現在も登山口の谷間に「ヤカタガウド」の地名を残す。猫岳の伝説は熊本県のみならず、大分、福岡県などにも分布している。

 江戸中期(1770〜80頃?)に、ある僧が書いた『塔志随筆』には、「猫岳には猫の王がすみ、毎年節分の夜に、阿蘇郷内三里あたりの猫が、みな集まる」とある。同じ頃の『肥後国誌』(1772)にも坂梨村(一の宮町)に伝わる話として、「猫岳には猫の王がすみ、阿蘇郡内の猫は毎年除夜には必ず、この山に詣でる」という。『太宰管内志』下巻(1841)では、『塔志随筆』の話を引いた後、「猫岳には数百の猫がすんでおり、時々、二、三百も連なって歩くのを見る人がいる」と現実味を帯びた記述となっている。

 猫岳は「猫が宮仕えに登る山で、人家の猫が年を経るとここに逃げてくることがあり、それを宮仕えに行ったという」と説明するのは『南郷事蹟考』(1866、長野内匠俊起)だ。『阿蘇郡誌』(1926)には「虎のような猫の大王がすんでいたので、猫岳と名付けた」と山名の由来にしている。「虎のような」と形容された猫王だが、大きな黒猫だとする伝説もある。

 猫王の権威が広がった証は福岡県鞍手郡の伝説に明らかだろう。「飼い猫は大きくなると、必ず姿を隠す。二度三度と姿を隠す猫もいる。それは、五十里もある肥後の猫岳に行(ぎょう)に行くからである。そこには、たくさんの猫が集まって修行をする。修行に行かない猫はほとんどいない。三十日から六、七十日も姿を見せない。修行から帰ると、もうふつうの猫ではない。どの猫もげっそりやせ、耳がさけている」(『民俗怪異篇』「日本民俗叢書」1927、礒清)。猫岳は単に集まって会議をする山から、猫にとって修行の聖地となったのである。それとともに里の人々にも猫岳参りの行動が知れ渡った。猫が集まるときは「峰や谷のいたるところに猫の鳴き声がして、猫の行列を見ることができる」(『肥後昔話集』1943、荒木精之)ほどだった。

 ほとんどの猫が修行にでかけるとする地域もあったが、猫岳参りする猫は、(1)年を経た猫、(2)7歳になった雄猫、(3)大きな猫で特に1貫目(3.75kg)になった場合、などがある。九州中から集まるため、遠いところからは火の玉のように飛んでいったという。修行期間は3日間から半年までと幅があるが、一度猫岳に登れば口が耳までさけ、尾が二またとなったり、恐ろしい面相となった。戻ったとき耳がさけているのは、免許皆伝のしるしに耳たぶをかみわってもらうからなのだという。修行を終えると里に戻って化け猫としてのワザを披露することがある。陽気な猫なら、手ぬぐいをくわえて踊り出し、おとなしい猫なら、障子をそろりと開け閉めする。
 
 猫岳にとどまって悪行をはたらく化け猫もいた。「猫岳の天狗岩には化け猫がいて、ここに登った者は食い殺され、1人も帰って来なかった。それを山東弥源太という豪傑が、少年時代に退治した。子牛ほどの山猫だった」、「高森から宮地に向かう娘の巡礼が猫岳の中腹で道に迷った。谷川に出ると洗濯をする老女に出会った。振り返った老女は口は耳までさけ、目はらんらんと光っていた。逃げると追ってきて、たらいの水をかけた。朝、宮地近くまで来ると、着物の水の乾いたあとに猫の毛がいっぱい生えてきた」(『阿蘇の伝説』「郷土文化叢書」第五篇 1953、荒木精之)
 
 今でも飼い猫が姿を消した時、山に修行に行ったのだと、半ば本気で思う人がいる。猫岳参りの伝えは、猫の摩訶不思議な行動の象徴として、現代にもなお生き続けているといえる。