2006年9月27日

妖怪作家の「いらぬ子猫の崖落とし」と、40年前の切ない「川流し」

 生まれたて子猫殺しを告白した某直木賞作家が、ついに在住地タヒチの管轄政府から動物虐待で告発されるかもしれないという(発端は8月18日付の日経夕刊コラム)。生命倫理がどうのという以前の胸くそ悪い話に、猫を飼わない身としてはトラウマのような体験を思い出し、切ない気持ちにさせられる。それが40年前の話だとしても…。

 当時の我が家の飼い猫はペットという存在じゃなく、あくまでもネズミ対策であった。冬のこたつで猫と戯れたりするが、ふとんに入れることは禁じられた。

 あるとき数匹の子を納屋で生んだのだが、父がすぐ取り上げて近くの川へ捨てに行った。母猫の狂乱ぶりはすさまじく、子を探して家中を絞り上げるような鳴き声で探し回った。様子を恐る恐る伺っていたこちらに気づいて猛然と向かってきたときは、「ごめん…」とつぶやいて扉をぴしゃりと閉めた。そのときの母猫の形相は、鳥肌が立つほど怖かったことを今でも思い出す。しかし、意を決して?扉を開けて叱りつけると、「フニャ〜」と力なく鳴いて、まるで憑き物がおちたようにおとなしい猫に戻っていた。家につくといわれる猫の切り替えの早さだった。

 その後しばらくして、この飼い猫は農薬にでもあたったのか、死んでしまう。夜、全身をけいれんさせながら家に帰ってきたので、毛糸を入れた段ボール箱を出窓においてやると、死期を悟ったようにすぐさま中に入って丸くなり、そして朝には硬くなっていた。亡きがらは川が分岐する三角洲の段丘に埋め、父と線香を焚いて手を合わせた。

 猫がいなくなった我が家では、再び油揚げを餌にしてネズミ捕りをかけた。捕ったネズミを川へ行って始末するのが、早朝の自分の役目だった。カゴごと水に漬けてもネズミはなかなか死なず、強力な歯でカゴの針金を食いちぎろうともがいた。カゴを持つ手に、大きな魚を釣るときのような手応えを感じた。その生命力に驚きつつ、何回か漬けたり上げたりして、弱っていくさまを凝視した。そして、力尽きたヤツを川に放してやるのだった。

 子猫の川流し…こんなことは、かつて日本の山村・田園地帯でごく普通だったのだろうか? 他の家ではどうしていたか知らないし、聞いたこともない。自分が暮らしていた平野部では「川流し」だったが、山間部では直木賞作家がやったように「崖落とし」だっただろう。

 実際に、そんな風習を示す例が地名として残されている。神奈川県には「ネコッコロバシ」、大分県には「ネコオトシ」という「猫の捨て場」とされる地名があるという。明らかに子猫を処分するために投げ捨てる崖の存在を意味する。京都市の東寺の南東端を通称「ネコの曲がり」というのも、かつて猫の捨て場だったからだと本で読んだことがある。

 それにしても、寂しさを癒すために猫と暮らす一方で、いまどき「いらぬ子猫の崖落とし」とは…。坂東眞砂子という人は「山妣」(やまはは)ならぬ妖怪作家であるな。

2006年3月21日

知床の猫山には耳が二つついていた

 最近、『知床半島の山と沢』(共同文化社)という本を購入した。昨秋に出版されたことは雑誌などでも知っていたのだが、2月上旬に著者の伊藤正博さん(網走山岳会会員)から「知床の山と沢を網羅した本ですが、沢から登った猫山(553.3m)の記録も載せてあります」と、親切にもメールをいただいたからだ。



 知床の山々については、せめてモセカルベツ川やサシルイ川、あるいはコタキ川から知床岳に行ってみたいと、若い頃から思いを抱いてきた。今では同じ知床でも、登山者に見向きもされない猫山(553m)に興味が向く。北海道で猫山というのはここだけだし、山の由来もはっきりしない。その猫山に、しかも沢から登ったのだから、ぜひともこの本を手にとってみたかった。

 Amazonに注文すると2日後に届いた。すぐに猫山のページをめくる。麓から撮った猫山の写真があって、なんと猫耳がついているではないか。著者は『猫山の名の由来は不明である。茶志別橋から眺めると二つの耳がある猫の顔の様に見えるので名付けられたのか、アイヌ語の「ナィ・コッ」(水の涸れた沢、水の無い沢の意味)に漢字を当てたのだろうか。』と書いている。

 この本では、必ず山名や沢名の語源を説明しており、行動記録の羅列でないところがうれしい。猫山についてアイヌ語の当て字説は知っていたが、この山の写真を見ると、どうやら山の形容からつけられた山名というほうに自然に傾いてしまうのだ。いつかこの目で確かめに行きたいものだ。