2011年9月18日

泊り山の大猫(飯士山・阿弥陀坊)

 今年も9月半ばを過ぎたというのに残暑が厳しい。炎天下の飯士山(1111.5m=新潟県南魚沼市)は気が引けるが、昨年同時期に計画したままになっていたのであえて行くことにした。

 鈴木牧之の『北越雪譜』に登場する「泊り山の大猫」の舞台となった阿弥陀坊(約885m)は、後楽園舞子スキー場からのコース上。南北に縦断するように飯士山を越えたら岩原スキー場に抜け、越後湯沢駅まで歩いて戻ることにした。

 越後湯沢からのタクシーをゲレンデ末端で下りる。大汗をかいて展望台まで上がると阿弥陀峯が見え、その右に飯士山がひときわ高い。この尾根ルート、飯士山のいくつかあるコースで一番人気がないのか、登山道にクモの巣がはびこって気が滅入る。

 振り返って魚沼丘陵の山々を見渡せば、タクシー運転手が言っていたとおり、7月末の豪雨で山肌や沢筋の至るところ地肌がむき出しになっている。巻機山方面もかなり沢筋がやられているようだ。


展望台付近からの飯士山と阿弥陀坊(左手前)

 「雨やどりの松」は日陰となったいい休憩場所で汗がひく。828mを過ぎると馬の背となり尾根も細くなった。眼前の阿弥陀坊は、その名からしてボリューム感あるピークと想像していたが、飯士山にいたる一つの平凡な峰にすぎない。左に大きな尾根が伸びている。農夫らが仮小屋に泊まりながらの樵をしていて大猫の鳴き声を聞き、足跡も見たというのは阿弥陀坊の北側が南側か。南側は急傾斜なので、左側(北)の尾根では、と想像する。

馬の背手前からの阿弥陀坊

 鎖場も現れ始めるが、何となく阿弥陀坊を越すと鎖場やロープ頼りの急登の連続となる。登りきると石仏のある頂上の一角だった。ここまで人と会わず静かな山だったが、展望のいい頂上には賑やかなグループが陣取っていた。そそくさと岩原スキー場へと下り、越後湯沢駅前の江神温泉目指して歩いた。

【コースタイム 後楽園舞子スキー場下 10:00 登山口10:30 展望台10:55 雨やどりの松11:10〜15 阿弥陀坊11:40 飯士山12:30〜45 岩原スキー場下13:45 越後湯沢(江神温泉)15:00


泊り山の大猫
 江戸期の雪国百科全書といわれる『北越雪譜』(鈴木牧之)には「泊り山の大猫」と題して、次のような内容で語られている。
 『飯士山の峰続きに阿弥陀峯(あみだぼう)という山がある。昔、百姓たちは雪の少なくなる頃にこの山に入り、小屋を作って寝泊まりし、木を切って薪を生産した。村人はこれを「泊り山」と呼んでいた。この薪は積んで乾かし、雪が消えると牛馬で家へ運んだ。
 この山には水がなかった。人々は樽を背負って、垂れ下がった藤づるを伝わって、谷川まで水をくみに行った。
 二月のある日、七人の農夫が、この泊まり山に薪作りをしていた。すると近くで、山あいに響きわたるような、大きな猫の鳴き声が聞こえてきた。驚いた農夫たちは小屋に集まり、手に手に斧を持って聞き耳をたてていた。その鳴き声は近くで聞こえたかと思えば遠くで鳴き、多くの猫かといえばやはり一匹の猫の鳴き声で、ついに姿を見せなかった。鳴き声が止んだあと、恐る恐るその場所へ行って見ると、堅い雪の上に丸盆ほどの大きな猫の足跡があった。』
 丸盆ほどの大きさの足跡ならば虎よりも大きな猫だったようだ。大猫が「ニャオーッ」では恐ろしげがないので、やはり鳴き声は「ギャオーッ」だったのだろうか?
                                   「ヤマネコ山遊記」より