2003年3月2日

猫の宮、犬の宮(山形県東置賜郡高畠町)

伝説でつながっている「犬の宮」と「猫の宮」

 高畠町の鳩峰高原に猫にまつわる伝説がある。夢の中で、首に玉の輝く猫が天から向かいの山に降りたのを見た豪族が、巫女に東の山で狩りをするとよいと占ってもらい、行ったのが鳩峰山。弥彦山の猫多羅天女と関係のある「弥三郎の母」の類話をなす伝説が残る。

 その高畠町亀岡には「犬の宮」と「猫の宮」が対座している。犬の宮の由来は、高安の山奥にすむ古狸から人々を守るために戦って力尽きた2匹の犬を祀る。全国的にも犬を祀っている社は珍しく、愛犬供養のほか安産と無病息災の神としても知られる。戸川幸夫の直木賞受賞作『高安犬物語』の舞台になったところでもある。猫の宮の方は、その古狸の血を吸って大蛇となった毒蛇を命がけで退治した猫を祀ったとされる由来で、双方の宮が伝説上でつながりがある。伝説の成り立ちは犬の宮のほうが早く(和銅年間)、その70年後(延暦年間)に猫の宮の伝説が生まれている。猫の宮はかつて養蚕農家の信仰を集めたが、現在は、ペット供養や健康祈願を願うお宮となっている。

放火された?猫の宮

 JR東日本パスを利用して日帰り。高畠駅には正午着。おおまかな地図を頼りにテクテク歩いていく。道路の雪は消えているが、まだ一面の雪景色。和田川にかかる「おっかな橋」(恐ろしい橋の意味)というの気になった。由来板がはめ込まれており、高畠町に伝わる弥三郎婆伝説にちなんでいる。伝説の中で弥三郎の子、弥太郎が狼に襲われる場所だったのだ。

弥三郎婆が狼に襲わせていたおっかな橋

 町中心部へ向かい国道399号に出て、中央公園手前で右の道に入る。右手前方に木々に囲まれた社があり、猫の宮と分かる。犬の宮はその先の駐車場が入り口だ。13時20分着。駐車場の先、左手の寺は猫の宮別当清松院である。50段の石段を上がると狛犬が迎えてくれた。雪が数十センチ積もっている。社殿左に頭のない狛犬があった。猫の宮の社殿正面には猫の写真がたくさん張ってある。社殿階段の右側が黒く焼け焦げていた。放火されたものだろうか。全焼でもしたら大変なことになるところだった。

木立に囲まれた猫の宮
高台にある犬の宮はより雪が深い
猫の写真がたくさん張られた猫の宮
放火された猫の宮の社殿階段
猫の宮別当清松院


<猫の宮由来>
 延歴年間(781年〜805年)高安村に代々庄屋で信心深い庄右衛門とおみね夫婦が住んでいた。2人には子供がなく、猫を心からか可愛がっていたが、なぜか次々と病死してしまう。今度こそ丈夫な猫が授かるように祈っていた。ある夜、同じ夢枕に観音菩薩が現れ「猫を授けるから大事に育てよ。」とのお告げがあり、翌朝庭に三毛猫が現れ、夫婦は大いに喜び、玉と名付けそれはそれは子供のように大切に育てていた。
 玉も夫婦にますますなつき、そして村中のネズミをとるのでたいそう可愛がられていた。
 玉は不思議なことに、おみねの行くところどこへでも付いていった。
寝起きはもちろんの事、特に便所へいくと、天井をにらみ今にも飛び掛からんばかりに耳を横にしてうなっている。おみねは気持ちが悪く思い、夫にそのことを話してみた。
 夫が妻の姿をして便所に行くとやはり、玉は同じ素振りをする、庄右衛門はいよいよあやしく思い、隠し持っていた刀で猫の首を振り落とした瞬間、首は宙を飛び屋根裏にひそんでいた大蛇にかみついた。
 この大蛇は、70数年前に三毛犬、四毛犬に殺された古狸の怨念の血をなめた大蛇が、いつかいつの日か仕返しをしようとねらっていたが、玉が守っているため手出しできなかったのだった。
 この事を知った夫婦は大いにくやみ村人にこの事を伝え、村の安泰を守ってくれた猫のなきがらを手厚く葬り、堂を建て春秋2回の供養を行ったという。(高畠町HPより)

猫の宮由来記
 延暦年間の頃(和銅より約七〇年後)この村に、信心深い庄屋夫婦がいた。二人には子供がなく丈夫な猫が授かるよう祈っていた。ある夜観音様が夢枕に立ち「猫を与えるから大切に育てよ、さすれば村中安泰、養蚕が盛んになる」と、お告げがあり授かった猫に「玉」と名付け、大変可愛いがり丈夫に育てたが歳月がたつにしたがい不思議な事に、何処へ行くにも傍らをはなれず、何物かを狙うが如き睨み据え、その異常さに思いあまった主人は、ある日隠しもった刃で切り捨てた。
 ところが猫の首は天井裏に飛び隠れていた大蛇の首に噛みつき殺してしまった。大蛇は昔、犬に退治された古狸の怨念の姿であり、猫は(観音様の化身)庄屋夫婦を守るための振舞いだったのです。村人は庄屋を救った「玉」をねんごろに葬り、観音堂を建てその供養を行い恩徳を偲び「猫の宮」と称した。以後村人は猫を大切に育て養蚕が盛んになり、安泰な生活が続いたと云う。(清松院縁起聞伝書による)

<犬の宮由来>
 和銅年間(708年〜714年)都から役人が来て村人を集め「この里は昔から年貢も納めず田畑を作っていたが、今年から年貢のかわりに毎年、春と秋には子供を差し出すように」といい、村では大変悲しみ困っていた。
 ある年、文殊堂帰りの座頭が道に迷い、一夜の宿を頼んだところが、今年の人年貢を差し出す家だった。
 ある夜、役人が現れ、ご馳走を食べながら「甲斐の国の三毛犬、四毛犬にこのことを知らせるな」と何回も念を押して帰るのを耳にした座頭は甲斐の国に使いをやり、三毛犬と四毛犬を借りてこさせ、いろいろ知恵を授け村を去った。
 村人は早速役人を酒席に招き、酔いが回ったところに、2匹の犬を放ったところ大乱闘になった。あたりが静まり返った頃おそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸が2匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。そばには三毛犬、四毛犬も息絶え絶えに横たわっていた。村人は必死に手当をしたが、とうとう犬は死んでしまった。
 この村を救った犬を村の鎮守とせよとのお告げにより、まつったのが現在の犬の宮といわれている。(高畠町HPより)

犬の宮由来記
 昔(和銅年間の頃)この高安村は毎年春秋の二回、都の役人に人年貢を差し出す事になり村人が難渋していた。
 ある時、道に迷った旅の座頭が一夜の宿を乞い、村人から不思議な年貢取立ての話を聞き及び、何物かの仕業と推察、村人に悪魔退散の策を授け座頭は村を去った。
 村人達は早速、役人を酒席に招き甲斐の国から借りて来た、三毛犬、四毛犬を放ったところ、大乱斗の末、倒されたのは役人ではなく二匹の大狸と多数の荒狸であり傷ついた二匹の犬も、まもなく死んでしまいました。
 この村の大難を救ってくれた二匹の犬を村の鎮守にせよ、との座頭のお告げにより、崇めまつったところ、この里は難産もなく生れる子供は無難に育ち村が栄えたと云う。
 又この地に生息した高安犬は強い耐久力と激しい闘魂をもつ優秀な狩猟犬として有名である。(戸川幸夫『高安犬物語』)

 帰りは時間を惜しみ、タクシーを呼んで駅に戻る。行きで1時間以上かかったところが8分で着いてしまった(1800円)。時間に余裕ができたので、駅中温泉の太陽館に入り温まってから高畠を後にした。高畠町は「まほぼばの里」としてPRしているように、史跡など見所が多い。駅からレンタサイクルを使うと効率よく回れそうだ。

「弥三郎の母」伝説と高畠町

 「弥三郎の母」という伝説は各地に類話が見られる。山形県高畠町に伝わる話では、弥三郎の母が鳩峰山に天から降りてきた猫ということになっている。鳩峰山というピークはなく
、米沢盆地東部にある標高500〜800mの鳩峰高原を指すものと思われる。猫が出てくるのは最初の部分だけであるが、夢の中で「首に玉の輝いている猫が天から」降りてくるという、幻想的な書き出しの伝説である。

 「この地に弥太郎という豪族がいた。ある夜、弥太郎は夢の中で、首に玉の輝いている猫が天から向かいの山に降りて来るのを見た。巫女に占ってもらうと、東の方の山に行って狩りをすると、よい獲物があろうという。そこで、鳩峰山に狩りに行くと、おおぜいの天女が琴をひいている。天女は天に舞いあがったが、一人だけ地上につかわされたといって残った。弥太郎は、その天女を妻にした。名を岩井戸といった。(後略)」(佐藤義則『出羽伝説散歩』1976)

 岩井戸は弥三郎を生んだが、のちに空を飛んで弥彦山に入り夫婦の守り神となった。そして最後は村に戻って旅人の道案内をする道祖神になったと伝説は結んでいる。弥三郎が白い狼の群れに「おっかな橋」付近で襲われそうになり、狼使いの白髪の老女の片腕を切り落とし、持ち返って母に見せたらそれは自分の腕だと言って弥彦に飛び去ったという。ということは、弥三郎の母は猫でもあり狼使いでもあったということになる。

 高畠町一本柳にはこの妙多羅天を祀るお堂があり、現在は風邪を治してくれる神として知られる。