2011年3月6日

山形県大蔵村の猫岳伝説に手がかり

永松鉱山と猫滝の伝説

 8年前に登録した国会図書館の利用登録証期限がとうに過ぎてしまっていて、改めて登録し直しに行った。ついでに資料収集もするが、複写コーナーや閲覧室の配置が変わっていた。利用登録証があると入館手続きがスムーズで、資料請求も端末からできるようになっていた。かつては端末から資料の請求記号を検索し、いちいち請求書に手書きしていたので便利。計8冊ほど資料をチェックすることができた。

 その中で大きな収穫が一つ。山形県最上郡大蔵村の猫岳(977m)には猫伝説があることは知っていたが、具体的な出典はよくわからなかった。今回は『大蔵村史 集落編』に手掛かりとなる伝説を見つけた。

 猫岳の南西にあった永松鉱山にかかわるものだ。永松鉱山の最盛期(元禄年間)のころは3000人もの人が働いていた。危険な仕事ゆえ病人や死者も多く出たが、麓の寺で供養できない罪人など素性のわからない人の死体はある沢に捨てたのだという。その沢には山猫が棲んでいて死体を食べては大きく成長し、はては死体の怨念が乗り移って人間をも襲うようになった。困り果てた村人の祈りが通じて、猫の化け物は葉山(1462m)の権現様に藤蔓で退治される。また、この沢には大きな滝があって「猫滝」と呼ばれ、化け猫の怨霊を恐れて村人は決して近づこうとしないという言い伝え。前半の苛酷な鉱山労働と結びつけるところなどは事実かと思わせる、すさまじいあらすじである。

 猫の化け物がいた沢とはどの沢なのか不明だ。2万5千分の一地形図「葉山」では永松鉱山跡近辺に滝記号のある沢が一つだけある。これが「猫滝」なのかどうか。猫岳の北西には赤砂山から発するネコマタ沢が銅山川左岸から注いでおり、伝説との関連は濃厚だが確証はない。いずれにしても猫の伝説をもっとあぶり出さないと、猫岳、ネコマタ沢、猫滝が結びつかない。

駆け込みで「平山郁夫展」へ

 適当に資料漁りを切り上げ、明日(6日)閉館の迫る「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」(国立博物館平成館)を駆け込みで観に行く。土曜日とはいえ100m以上の列ができた昨年の「阿修羅展」ほどの混雑ではない。目玉は薬師寺の障壁画(大唐西域壁画)で、エベレストビューからのヒマラヤ巨峰群を描いた「西方浄土須弥山」のスケールには圧倒される。

国立博物館平成館入り口の大ポスター

 常設展も時々面白い展示替えがあるようだ。たまたま平成館考古室で特別展示されていた一つの土偶に引き付けられた。宮城県大崎市田尻の恵比寿田遺跡から出土した縄文時代晩期の代表的な遮光器土偶(重要文化財)だ。おなじみのユニークな外見で宇宙人説もあるが、同郷出身者としては「モンペをはいたばあちゃん」にも見えてしまう。昭和18年に出土したとのことで、すぐ国立博物館行きとなったものか。郷里からこんな貴重なものが発掘されていたとは知らなかった。たまには里帰りさせて地元の人に実物を見せてやってほしいものだ。(常設展示物は撮影禁止と表示されたもの以外は撮影可)

故郷離れて60年以上の土偶と初対面