2011年11月17日

二度目のショナラ様(長野県筑北村)


聖高原駅から修那羅峠へ
 10年前に初めて修那羅峠を訪れたときは上田〜別所温泉経由で入ったが、今回は麻績(おみ)村からアプローチした(11月5日)。篠ノ井線聖高原駅前から筑北村営バスが、峠手前の真田(しんでん)まで運行している。駅前から台地のような聖山(1447.1m)が見渡せる。この山には猫股伝説があるのでいずれ登るつもりだが、何せ交通の便が悪い。きょうは、どんな山の姿かを眺めるにとどめる。
聖高原駅から聖山を望む
安宮神社参道入り口
安宮神社
 真田バス停から峠へ向かうと、すぐ安宮神社への入り口を示す鳥居がある。幅広の歩道を15分で神社に着いた。犬がけたたましく吠える。はて、10年前は3匹の猫がいたが、犬はいなかった。まずは右手の修那羅遊歩道(桜の森)の狛猫を見に行く。もっと大きかったと思っていたが、意外に小ぶりだった。虎のように立派な猫だ。明治・大正期だろうが、奉納年や名前は読みとれなかった。

神社入り口脇の狛猫

猫です
凛々しい猫です
 礼拝をすませた後、社殿脇をくぐって猫神を見に行く。右手の小高いところに鎮座していた。霊錚山と同様、猫神はここでも特別の位置を占めている。「養蚕大神祠」の左に鬼をはさんで猫神が二体。入り口の狛猫二体を合わせると四体の猫像があることになる。
養蚕大神として祀られた猫像1
猫像2
 気になっていた猫が見当たらない。いつも本殿の回りで寝ているはずだが。休憩所でお焼きを買いながら、おばさんに聞くと、三匹とも死んでしまったとのこと。二匹は死期を察して自ら山に出て行き、残る一匹は最期の鳴き声を聞くのがつらかった。それで、猫はもう飼えないと。

 バス時間を気にして長居はできず、来た道を引き返す。


   大姥山の山姥伝説
 金時(金太郎)を育てたという大姥山(1003m=現大町市)の山姥伝説の中で猫又が登場する。猫又の大きさや姿などはわからず、神がかりな山姥を盛りたてるための材料となっているにすぎない。
 更級郡大岡村の聖山(1447.1m)に猫又がいて付近の人を食ったり作物を荒らして困らせていた。これを退治するため八坂村の山姥様の夫が行ったが、逆に猫又に食われてしまった。そこで山姥様は女の身ながらこれを退治して夫の仇をとり、大姥山に居を構えて金時を育てたという。(参考:『北安曇郡郷土誌稿』長野県北安曇教育会、1979)
 大姥山には山姥が金時を育てたという「岩穴」や産湯に使った「産池」がある。中腹に建つ大姥神社は金時にあやかって子供の健やかな成長を祈る守護神を祀っている。
 大姥山のある八坂村には「化け猫退治」という伝説もある。「昔八坂村字野田の坂井左喜吾という人の家へは毎日夕方になると山猫が化けてはいった。そこで村中の者が集まって隅から隅までさがしてとうとう見つけて殺した。ところが左喜吾はその後病気になった。いくら薬をのんでも治らないので多分猫の祟りだろうといって、神主を頼んで拝んでもらったらだんだんよくなった」(『北安曇郡郷土誌稿』長野県北安曇教育会、1979)。山猫が何に化けたのか、村人に簡単に退治されるほど弱いものかなど、疑問の残る伝説である。化けることはできるが猫又ではなく、まだまだ妖力を持ち合わせていなかったのだろう。せめて、どこの山から下りてきた山猫なのかを知りたいものだ。