2010年12月4日

河竹黙阿弥の墓と愛猫の塚(中野区上高田)〜豪徳寺(世田谷区豪徳寺)

猫好きだった河竹黙阿弥

 江戸時代の幕末から明治にかけて活躍した戯曲狂言作者、河竹黙阿弥(1816〜1893年)が猫好きだったことはあまり知られていない。飼い猫は名を「太郎」という福々しい烏猫だった。黙阿弥は、明治26年1月に本所二葉町の自宅で逝去後、当時浅草にあった源通寺に葬られた。明治41年に同寺が現在地(中野区上高田)に移転したときに黙阿弥の墓も移された。源通寺には太郎の塚も残されている。愛猫の太郎については『猫めぐり日本列島』(中田謹介著、筑波書房刊)に詳しい。なかなかぜいたくな食事を与えられていたようだ。

 源通寺(真宗大谷派、中野区上高田1-2-9)へはJR中央線東中野駅西口から東中野銀座通りの商店街を抜けて早稲田通りを中野方面へすぐである。東京メトロ落合駅からの方が近いし分かりやすいだろう。早稲田通りに面した山門を入るとすぐ本堂で、墓地はその左から裏手へ。河竹黙阿弥の墓所は河竹家の墓とその右に黙阿弥の墓、左手前に石碑があるが、愛猫の塚だとは気がつかないだろう。猫塚に刻まれているのは崩し文字なので正確には読みとれない。中田氏の著書によると、「河竹黙阿弥愛猫塚 糸建立 十九年わずか二日の初夢を 見果てぬ猫の名も太郎月」と刻まれている。糸は黙阿弥の長女で、歌も彼女の作である。命日が明治19年1月2日を意味する。

源通寺本堂。墓地は左から裏手へ。
河竹黙阿弥の墓
  
黙阿弥の墓(右)と猫塚(左)

黙阿弥の愛猫太郎の塚


招き猫を豪徳寺のシンボルに

 次に行くあてもなかったので、また豪徳寺(世田谷区)にいってみることにした(夏の招福猫奉納所付近は蚊に刺される)。地元商店街は地域活性化につなげるため「招き猫」を街のシンボルにしたのだという。すでに商店街のキャラクター「たまにゃん」は昨年から商店街の行事やPR活動で活躍中とのこと。小田急線豪徳寺駅前の招き猫石像は今年6月12日にお披露目された。
 豪徳寺では招福猫児の3号(小さいやつ)をいくつか買う。今後、猫山の調査・取材の際にお礼の代わりに使うつもりなのだ(すでに遠野の猫石探査のときに使っている)。ついでに井伊直弼の墓に行ってみると、文化財ウオークの団体さんが来ており、説明役のおじいさんが「桜田門外の変」で直弼とともに亡くなった八人の家来の碑があることについて熱く語りかけてきた。メンバーではないのに抜けられず相槌を打ち続けるはめに。その「桜田殉難八士之碑」は直弼の墓の後ろにひっそりと立っているが、公開中の映画「桜田門外ノ変」効果で訪れる人が絶えないようだ。

豪徳寺駅前の招き猫石像
招福猫奉納所
微妙に表情の違う猫も
奉納された招福猫の絵馬
井伊直弼の墓
桜田殉難八士之碑
商店街のキャラはたまにゃん