2010年10月24日

磐梯山麓の猫石

 磐梯山麓に点在する三つの猫石を巡り歩いた。

 まずは猪苗代国際スキー場付近にある「渋谷の猫石」から。猪苗代駅から五色沼方面行きバスに乗り国際スキー場入口で下車。スキー場への道から観光ホテルの手前で右に入る。北へ向かう道はやがて、学校施設の跡地に至る。建物はすでになく、草の生い茂った広場となっている。車はここまで入れそう。

 その先さらに進みながら、右下斜面にあるはずの猫石を探す。十数分歩いて行くが、それらしき石は見当たらない。点在するいくつかの石はあるが、とても猫石と呼べるものではない。来た道を引き返し、杉林の斜面をヤブをかきわけながら目を凝らす。

 もう学校施設跡に戻り着くという手前左下に祠を見つける。これだ。猫の背にあたる部分で、その先が大きな岩となって切れ落ち、耳部分の石も二つ乗っかっている。右から回り込んで降りてみる。なるほど苦悶に口元をゆがませたカエルのような猫がいた。高さは3〜4m。

口をゆがめた苦悶の表情が見てとれる猫石


 祠の左側面に「石工 鈴木文三郎 明治24年」、右側面には渋谷村中の幾人かの奉納者名が刻まれていた。

 伝説によると、磐梯山噴火の時、夫婦猫が山から逃げてきたが、女猫は長瀬川を越せず渋谷あたりで力尽き、男猫は川を渡って白木城の近くまで辿り着いて果てた。渋谷の石を女猫石、白木城のを男猫石という。

 また、男猫は白木城まで逃げ生きながらえたともあり、養蚕の盛んな時代はネズミ除けの赤猫大明神としてお祭も賑わったという。(参考「猪苗代の字名の由来」「猪苗代町史 民俗編」)

 そこで、次は男猫の猫石である「赤猫大明神」へと向かう。これを探すのは少しやっかいだ。気を引き締める。交通量の多い県道459号線を沼の倉の手前まで戻り、沼の倉大橋で長瀬川を渡って、今度は国道115号を北上する。この道も磐梯吾妻スカイラインに向かうので、紅葉狩りの車がうるさい。

 猫石は、伯父ヶ倉の集落を過ぎた左手の杉林の中にあるとにらんでいた。閉鎖した電機会社の建物付近は猫塚というらしいので、このあたりを行ったり来たり。切り開きに大きな石が無造作に集められて積み上げられていた。もしや電機会社の建物を造る際に取り除かれたという不安も。しかし、信仰の対象となった猫石を壊すことはないはず。もう一度電機会社の左手から裏に回り込んで川沿いに暗い杉林を探す。

 キョロキョロしながら歩いていたら、ツルに足を取られて思いっきりころんだ。やれやれと顔を上げたら巨大な岩が・・。その下に赤い立派な祠が鎮座している。まさに赤猫大明神様である。中には「奉齋 猫石神社」と書かれた木札が見える。渋谷の猫石より一回り大きい。岩の高さは約6m。土を被った頂上まで登ってみると8mはありそう。大木が何本か絡みつくように生えていて迫力がある。

赤い祠が決め手の赤猫大明神
猫石は国道から横道に入り奥左。向こうは磐梯山

 石の右裏手から杉林を抜け出たところは、カンナ屑の捨て場となっている広場で、隣接する畑脇の道を国道に出ることができる。「渋谷の猫石」とは長瀬川をはさんで、直線距離でわずか1.2キロほど。石と化した無念の夫婦猫が、互いを見守るように対座している。

 残るは「土町(はにまち)の猫石」。こちらは、磐梯山災死者招魂碑が石上に建てられているという情報はつかんでいる。2万5千図にも記載されている碑がおそらくそれであろうと確信していた。

 猪苗代スキー場方面へぐるっと磐梯山麓の南東を回り込んでいく。磐梯山を眺めつつ、晩秋のほどよい冷気を感じて歩くのは楽しい。車なんぞでは味わえない郷愁である。途中、「見祢の大石」という噴火で押し出されてきた大石(国の天然記念物)も見たかったが次の機会に回そう。

土町の猫石に建つのは磐梯山災死者招魂碑

 土町では目当ての碑はあっさりと確認できた。確かに大きな平らな石の上に招魂碑が建っている。町中の四つ角なので風情というものはない。近くで草刈りをしていたおばさんに確認する。土津神社脇からスキー場に至るあたりを「猫石山」といい、その由来がこの猫石だろうと言っていた。薦められて立派な土津(はにつ)神社を見学後、猫石山あたりの道も歩いてみたが、両脇に別荘が建つのみ。

 土町の猫石は、昔多くの猫が群がって日向ぼっこをして岩の上で眠ったと伝えられる。(参考:「猪苗代町史 歴史編」)


 帰りは、猪苗代駅まで歩くついでにふるさと歴史館に立ち寄って資料を漁り、充実した一日を終えた。