2011年12月31日

猫が岩山(大分県別府市)


 2011年最後の猫シリーズは大分県別府市近郊の猫が岩山へ。722mのピークはわずかに自衛隊十文字原演習場内に入るため、安全性を考慮すると年末年始がベストだ。昨年は悪天と積雪のため計画を断念していた。
 
防火帯を登る
 登る人は少ないようで南側の高平山(830m)から往復するのが一般的だが、アフリカンサファリ行きのバスを利用して北側から猫が岩山を登ることにした。往復はつまらないので南下して高平山、狸峠を経由して明礬温泉に下りることにする。演習場側は広大なカヤト原で、官民境界線の防火帯が登りやすい。
 
 やたらとイノシシの足跡が多い。注意していたら、いきなりウリ坊が林の中に逃げていった。頂上の展望は素晴らしく別府湾を望むことができる。「猫が岩」という山名は、鎮西八郎為朝に退治された山猫の伝説に基づいている。
 
鎮西八郎為朝の山猫退治
 その昔、明礬の先の湯山に旅人を襲うなどの凶暴な山猫がいて人々は困り果てた。嘆願されて山猫退治を引き受けた為朝はある夜待ち構えていると、青光りする目の怪物が現れた。矢を放ったところ怪物の額に命中し、恐ろしい悲鳴とともに山に逃げていった。追っていくと頂上で山猫は鮮血を流して石と化していた。それ以来、この山を猫が石山と呼ぶようになったという。
 
山の位置に疑問も
 頂上に点在する岩には、うずくまったような猫の形をしたものは特に見当たらない。伝説では猫が岩山を850mの山としており、湯山から見ても位置的には高平山なのだが、かつてはこの山も含めて猫が岩山と呼ばれていたのかもしれない。高平山は地図に記されておらず、その可能性はある。ただ高平山にも猫に似た顕著な岩はなかった。

岩が点在する猫が岩山頂上
高平山の登りから猫が岩山を振り返る
高平山から別府市街を望む
狸峠手前のピークから高平山
 狸峠から道標に従い、やや不明瞭な道をところどころ右往左往しながらも明礬温泉へと下った。あまり使われていないようで、意外にも「明礬山の湯」の裏手に出たところ「この先危険につき通行禁止」の表示があった。山の湯は混んでおらず湯加減もちょうどよかった。

狸峠の道標
明礬山の湯


2011年12月23日

秩父・城峯神社の「お猫さま」(埼玉県)


将門伝説の城峯山
 将門伝説で知られる秩父の城峯山(1,037.7m、埼玉県秩父市、秩父郡皆野町、児玉郡神川町の境)は、車道が山頂近くの城峯神社まで通じているため労せずに登ることができる。巨大な電波塔が頂上にあるのも気に入らず、登りたい山からはずれてきた。しかし、山頂直下の城峯神社に狛猫がおられるということであれば話は別。「お猫さま」と呼ばれる訳ありの石像を見たい衝動にかられた。

 秩父鉄道皆野駅から町営バスで日野沢コース登山口の西門平まで入る。鐘掛城(1,003m)まで植林地を黙々と登る。稜線の風は冷たく、霜柱を踏み崩して急坂を石間峠へ急ぐ。車道が横断していて、左へ行くと城峯神社へ至る。少しの登り返しで頂上に立つ。バス停から約1時間半で着いてしまう。一等三角点だけに展望はよい。やはり目立つのはギザギザの両神山。

天狗岩から城峯山
目立たぬが特別の存在
 城峯神社へは反対側の尾根を下る。こちらは日当たりのよい雑木林となっている。神社の奥社から天狗岩を往復してから神社へ。伝説の「将門隠れ岩」はうっかりパスしてしまった。鳥居前は平坦な広場で、左手に神楽殿やキャンプ場がある。神社の狛犬は強面の三峰系狼だ。狛犬のそばにあるものと思っていた猫の石像だが、付近を探しても見当たらず少しとまどう。社殿に戻ってみると、その左手前に目立たぬように鎮座していた。思ったより小さく紫の前垂れをかけており、特別な存在のようである。

城峯神社拝殿
これが「お猫さま」
両神山と秩父の山並み(境内広場から)
狛猫ではなく「お猫さま」
 この置き場所が何となくしっくりこない、しかし特別扱いのような猫の石像のルーツとは? この猫、もとは城峯神社の別当寺だった長伝寺(旧吉田村石間)にいらっしゃった。長伝寺には平将門の守り本尊の十一面観音が安置されていて、その眷属である「お猫さま」を貸し出していたという(養蚕地帯なのでやはり鼠除けか)。


 長伝寺の十一面観音は明治元年に光明寺(旧吉田村沢戸)の観音堂に移された。廃寺となったためなのか、明治2(1869)年には「お猫さま」も城峯神社に安置された。それが今に伝わる狛猫だということになる。どおりで、ほかの狛犬と比べて小ぶりだ。貸し出すために人が担ぎ上げて移動できる程度の重量にしたのだろう。当初から猫の石像はひとつだったから、神社にあるからといって狛猫ではない。往時のように「お猫さま」と呼ぶべきなのだ。

 交通の便の悪さから足を延ばせなかったが、秩父困民党の蜂起の舞台となった山麓を訪ねるのも興味深い。