2003年3月12日

上越の白ネコがよく見えた

 2月中旬、谷川山麓での雪崩レスキュー講習会に参加した。高崎駅で水上行き電車に乗り換えるコンコースから、はるか谷川連峰とおぼしき白嶺が望まれた。にわかに、きょうはくっきりと見えるだろうか、とワクワクドキドキ。本来なら「耳二つ」と呼ばれるべき谷川岳の猫姿が、である。

 「耳二つ」の由来は、「上越線の上牧あたりから望むと、遠くに猫の耳を立てたようにキチンと二つの耳が並んでいる」からだと、深田久弥の『日本百名山』(新潮社)には説明されている。かつて月夜野や沼田方面の土地の人々が通称していたという「耳二つ」だが、現在でも二つの耳にあたるピークは、谷川岳北峰がオキノ耳(1970m)=谷川富士、南峰はトマノ耳(1963m)=薬師岳と呼ばれている。

 しかし、谷川岳の名が、いつのころから、どうして起こったのかは難しい問題で、また「耳二つ」という名称も古文献では登場していないのだという(『谷川岳の岩場』山学同志会編、三笠書房)。本来の谷川岳は南面の俎ぐらを指すとか、五万分の一の地形図に誤記があったとか、あまりにも有名な谷川岳の山名考察をするには複雑な背景があるので、ここはとりあえず、山の形状としての立派な猫姿を称えておくだけにしておこう。

 電車が上牧駅に着くと、ホームがカーブしているおかげで、車窓からでも前方左手に谷川岳がよく見えた。なるほど水上付近から見るよりも、両耳がそろっている。西に傾きかけた陽が、ちょうど雪の陰影を浮き彫りにして、ピンと立った耳と、猫の頬にあたる西黒沢源頭のまろやかなさまは、まるで上越の白ネコが寝そべっているかのように猫派としては見てとれた。

 『山の憶ひ出』の著者で群馬県出身の木暮理太郎(1873〜1944)は、「谷川岳」よりも、古来からの名称「耳二つ」に強くこだわったという。その思いが伝わってくる一首がある。

 吹雪雲 横なびく上に尖り峰の なみ立ちしるき耳二つかも