2010年7月19日

戸隠山の「ねこまたの岩屋」(埼玉県鳩山町)

「ねこまたの岩屋」

埼玉県比企郡鳩山村須江 戸隠山
戸隠山に岩屋がある。昔、古猫がこの岩屋に沢山集まり、笛を吹いたり、仕舞を舞ったりしたという。             『川越地方郷土研究』四冊

 ねこまた伝説の全文はこれだけにすぎない。比企郡鳩山村は現鳩山町。この一帯は外秩父の丘陵地帯で周辺の開発が進み、地形図を見ても戸隠山という山は見当たらない。須江という地名は残っているが、北側に98.3mの標高点があり周辺の最高地点だ。実際に伝説の地を歩いてみることにした。

埼玉県唯一のねこまた伝説の地

 7月19日 朝から強烈な太陽が照りつける。きょうは沿線地の探索なので気楽だ。東上線武蔵嵐山駅でおりて笛吹峠へ向けて歩いていく。途中、源義賢の墓地や源義仲、源義高生誕地、縁切り橋(東征中の坂上田村麻呂が、心配して訪ねてきた奥方を叱りつけ京に返した)、将軍塚など見所がある。また、笛吹峠までの一帯は蝶の里としてオオムラサキの保護に力を入れている。峠までのなだらかな登りで涼しげなクヌギ林で心地よい。この道はかつての旧鎌倉街道で幾多の武士団らが往き来したところだという交通の要所であった。


 約50分で峠に着く。ハイカーも訪れていて休憩所もあり、一息入れる。「クマ出没注意」の看板があり、こんな里山にも出没するのかと驚く。「平成20年5月27日に熊の目撃情報あり」と記されていた。峠から西に幅広の道が続いている。東に行けば物見山へと続くハイキングコースだ。98.3m標高点を通る西の道に入る。北が嵐山町、南は鳩山町の境界道となっている。標高点付近から南側に入る道があり、そちらに行ってみる。明るく開けた伐採跡に出る。南側は谷を隔てて森となって人家は見えず、里山とは思えない山中にいる感じ。このあたりが戸隠山というのだろうか。雑木林とヤブで自由に歩き回ることはできない。
涼しげなクヌギ林のトンネルを笛吹峠へ
笛吹峠

里山ながら「熊出没注意」の看板

ねこまたの岩屋はこの森に?
 境界線の道に戻り、熊除けに声を上げる。すると、子供の声が返ってきた。車道に出る手前に人家があり、二階から子供がこちらを見ていた。別荘ではなさそうで、寂しいところに住んでいるものだ。車道を下っていくと右手に少し大きい貯水池がある。ほとりに地蔵様が鎮座している。池の南側には社があり、のぞくと戸隠大神と九頭龍大神の文字が見えた。農耕と水を祀る戸隠信仰あることから須江の山を戸隠山と呼んだということは容易に想像できる。少し下った集落から再び山に入る道がある。車も入れる道で途中人家があり、戸隠山の件について聞いてみたが、比較的新しい住人だからなのか知らないということだった。

池端に祀られた戸隠大神と九頭竜大神

農業用貯水池?
 笛吹峠からS字状に戸隠山と目される森を辿って須江集落の南端に回り込む。ここには長命寺という寺があり、何か手がかりになる話をキックことができるのかもと期待していたが、無住の寺となっていた。大きな門構えの農家の前に来た。迷ったが暑いさなかにおじゃまするのは気が引けて断念。これではいないのだが。黒石神社、桝井戸遺跡(町指定記念物)と見ながら、須江の集落を離れ、玉川から八高線明覚駅に向かった。途中、玉川工高前の車道で交通事故に遭った動物は猫かと思ったら大きなタヌキだった。この日は最高気温36度まで上がり、調査するには厳しすぎる猛暑であった。

須江集落と戸隠山方面
 この日歩いただけでは具体的な手がかりはなく、土地の古老か町役場に問い合わせる必要がある。しかし、岩屋の場所を特定することは困難であろう。

2010年7月4日

北上山地・六角牛山と笠通山山麓の猫石探査

六角牛山と猫川

 猫川は岩手県遠野市の早瀬川上流、遠野三山の一つ六角牛山(1294m)付近に発する。

 『遠野物語拾遺 176』(角川文庫)には、「青笹村の猫川の主は猫だそうな。洪水の時に、この川の水が高みへ打ち上がって、たいへんな害をすることがあるのは、元来猫は好んで高あがりするものであるからだといわれている。」とある。地形図をみると、現在の猫川は砂防堰堤だらけで氾濫しやすい暴れ川だったことが分かる。源流は柏手のように何本かの急峻な沢から猫川に一気に流れ込む地形となっているのだ。六角牛山は、そんな暴れ川をかかえる山とは思いもつかない優美な山容である。

 ところで鉄砲水のことを利根川支流湯檜曽川の流れる地元、群馬県水上町では「猫まくり」と呼ぶ。平成12(2000)年8月6日に起きた湯檜曽川での鉄砲水事故が記憶に新しい。事故当時80〜120センチ水位が上昇し、谷川山麓で合宿キャンプ中だった少年サッカー団を襲った。「猫まくり」は「壁のように押し寄せる水の波頭が、猫の前脚のように曲がる様子から来た言葉だ」(asahi.com 8月7日配信記事)と注目された。猫川の洪水は「猫の高あがり」だが、いずれも異常な出水を猫の動きに例えているのは偶然とはいえ興味深い。

六角牛山へ登る

7月3日 六角牛山は以前から登ってみたいと思っていた。この土日は、まずこの山を片づけ、翌日は北上山地最北端の久慈平岳を登る計画だ。

 新花巻に着くと昨夜の豪雨による土砂崩れで釜石線が不通となっていた。振替輸送バスで遠野駅まで行く。六角牛山方面は雲に覆われており、上部は雨かもしれない。六角牛神社でタクシーを下りようと思っていたが、林道終点まで入れるとのこと。終点にはマイクロバス(秋田ナンバー)が止まっており、団体さんが先行しているようだ。

六角牛山登山口
六角牛山頂から中沢への尾根
中沢登山道下部の気持ちいい道
 しっとりとした樹林帯を登っていくと7合目から急登に変わる。岩がゴツゴツして歩きづらい。団体14名が下山してくる。湯沢を朝4時に出てきたそうだ。9合目には小屋があり、頂稜の一角に出る。頂上はガスであまり展望がない。晴れていれば遠野盆地が一望だろうに。北方で雷鳴がする。雨を心配して早々に下山にかかる。中沢への道は誰にも会わず歩きやすかった。登山口から林道をショートカットするが、地形図上の道はあまり使われていないようで沢を強引に渡って林道に上がる。

 六神石神社分岐から青笹駅までのロードは日差しも出て蒸し暑くなった。振り返ると六角牛山が見渡せるほどに天候回復。きょうは陸中海岸北部の久慈まで行くので、猫川の流れを見に行くことはできない。猫川の源流から六角牛山に登るのも面白そう。沢の記録は見ないので、そのうち登ってみたいものだ。

 釜石線は午後に復旧したようだ。予定通り、釜石で山田線に乗り換え、さらに宮古で北リアス線に乗り換えてようやく久慈へ辿り着く。霧で海は見えず。宮古線は豪雨で不通になったらしい。雨上がりの久慈に下り立つ、駅前の養老の瀧で夕食後、市内の道の駅でテント泊。

再び遠野の猫石探査へ

7月4日 ガスが濃く、山は霧雨模様。久慈平岳は中止として八戸に出て、再び遠野に舞い戻ってきた。遠野駅でレンタサイクルを借りて、猫石探査のため笠通林道を目指す。

 40分ほどで続石、そして笠通林道入り口を過ぎて小峠へ向けて400mほど登っていく。どうもこちらではなさそうなので、笠通林道入り口に自転車を置いて林道に入ってみる。右手山側斜面の杉林に見当をつけて探すがそれらしき大石はない。いったん下って畑仕事中の爺様に声をかけ、「猫石を知りませんか」と訊ねる。すると下の家を指さし、「そこで聞けば分かる」というようなことを言う。「それは猫石さんですか」と聞くとうなずくので、これはしめたと思う。そのお宅に行って声をかけると、畑からおばちゃんが上がってきた。

笠通林道入り口
 猫石はやはり笠通林道を少し入った右手斜面にあるのだという。1〜2分も上がると分かるらしい。ご主人(屋号猫石さん)は出かけているが、いれば案内させるのだがと恐縮していた。以前にも何人か猫石を探しに来た人がいると言っていた。

 もう少していねいに探せば見つかるだろうとタカをくくって、もう一度林道に戻る。しかし、かなり上まで行っても見つからずじまい。汗だくになってしまう。あとでネットで調べたら、もう少し奥へ入ったところで、左側に駐車スペースがある地点らしい。今日はここまでとして探査を切り上げる。帰りがけ10年ぶりに続石に立ち寄った。

 今回は収穫がなかったわけではないので、遠野駅に向け自転車を漕ぐ気分はまずまずであった。帰宅後、続石をネットで調べたら弁慶の枕石の近くに「猫石」があるということで、写真まで載っていたのに驚く。これはどういうことだろう。つまり、綾織地区に「猫石」は二つあることになる。さらに安部貞任伝説の「猫岩」は笠通山西麓にあるとにらんでいるので、遠野通いはしばらく続けなくてはならなくなった。

遠野市内で目ヤニ猫がお出迎え

2010年6月27日

北上山地・笠通山と猫山

笠通山のキャシャ

 『遠野物語拾遺 113』によると、
 「綾織村から宮守村に越える路に小峠という処がある。その傍の笠の通という山にキャシャというものがいて、死人を掘り起こしてはどこかへ運んで行って喰うと伝えている。また、葬式の際に棺を襲うともいい、その記事が遠野古事記にも出ている。その恠物であろう。笠の通の付近で怪しい女の出て歩くのを見た人が、幾人もある。その女は前帯に赤い巾着を結び下げているということである。宮守村の某という老人、若い時にこの女と行き逢ったことがある。かねてから聞いていたように、巾着をつけた女であったから、生け捕って手柄にしようと思い、組打ちをして揉み合っているうちに手足が痺れて出して動かなくなり、ついに取り逃がしてしまったそうな。」
 とある。

 キャシャとは葬式の際に棺を襲う妖怪で、猫が化けたものと伝えられている。棺の上に刃物を置く風習は、この猫の化け物から死体を守るためだといわれた。会津の志津倉山に棲んだというカシャも、同じく猫の化け物である。同類の妖怪「火車」の話は西日本に多いとされる。


 登山の対象としての笠通山(かさのかようやま)は余り魅力がないのか、ガイドブックにもほとんど紹介されていない。わずかに北上山地の山々をくまなく踏査した記録である『かぬか平の山々』(日本山岳会岩手支部編 現代旅行研究所 1988年発行)に紹介されているのみである。869mという標高のわりに根の張った山で、登ってみなければ面白いかどうかは判断できない。地形図では南面に林道が入り込んでいるので植林の山だろうということは想像できる。

奥深さを背中で感じる笠通山

 6月26日 釜石線宮守駅からタクシーに乗る。今年は熊が二度ばかり出たとのことだ(いずれも綾織地区)。笠通林道は入ったことがないというので、柏木長根から笠通林道を少し入ったところで下車。あまり奥まで入ると現在地が分からなくなる恐れがある。水源涵養林で手入れの行き届いた林相である。しっかりした歩きやすい林道で「県有林事業看板」のある分岐で左の林道へ。もうひとつの分岐を左に入ると左へ左へとゆるく登っていく。登山口へ向かう林道だと確信する。やがて草に覆われてやや不安になるが、轍はしっかりしている。右に曲がってさらに左に曲がると林道終点で登山口の標識がある。

笠通山登山口(林道終点)
 左上に上がっていく登山道は少し上まで工事用足場の鉄パイプで手すりが作られている。あまり人は入っていない様子。ピンクテープが目印だ。10分も登るとピーク直下で錆びた剣を見る。三つのピークがあるということだが、最初のピークから遠野盆地が望める。はるかにかすんでいるのは六角牛山だろう。草をかきわけていくと中央のピークにも剣がある。三つめのピークに「三笠山」の石碑と「笠通山」のプレートがあった。

笠通山から遠野盆地と六角牛山遠望
笠通山中央ピークの古剣
笠通山山頂の三笠山碑
笠通山の山頂
 山頂直下まで車で入れることが登山の対象として面白味がなく、逆に展望のほとんどない林道を下から歩くのもイヤ。このあたりがこの山が敬遠される理由なのだろう。いずれにしても初見で頂上に立つのは読図力が不可欠である。2万5千分図では林道の 林道を歩いているとぞくぞくとするような奥深さを感じる。遠野物語の山ならではの感覚だ。

 県有林事業看板の分岐まで下り、左の林道に入るとすぐ山側に造林小屋と山の神の石碑があった。右には池があり、あまり使われていないような道も下っている。轍があり気になったが、しっかりした林道を進めば南側の和山に下れるだろうとタカをくくる。しかし、行けども行けども山腹を縫っていくばかり。ついに車道に抜けたと思ったら、向こう側に千葉家住宅が見えるではないか。綾織の滝沢集落に出たということは、笠通林道を東西に横断したことになる。笠通山の林道に関しては、2万5千図の情報は古いままである。しかし、このハプニングが思わぬ幸運をもたらしてくれる。

 川を渡って千葉家住宅前に出、遠野街道を南下していくと遠野の名勝のひとつ「続石」の入り口である。10年ほど前に遠野を初めて訪れた際、観光バスで千葉家住宅やカッパ淵などとともに見て回ったのでパスする。すると小ぶりな続石と綾織地区の周辺案内石があったので、何気なく目をやったら「猫石」と彫られているではないか。その場所はついさきほど下ってきた笠通林道付近だ。林道入り口から少し入ったあたりか。場所が特定できないでいた猫石とニアミス?していたことになる。これは思わぬ収穫だ。戻って探すのは次の機会に回すことにして、岩手二日町の駅に到着。林道歩きで足が痛くなった。15時15分。

 釜石線をいったん宮守駅まで戻る。今夜のねぐらは道の駅みやもりで、建物脇の気持ちよい草地にテントを張る。夕刻になると釜石線のめがね橋がライトアップされて幻想的であった。夜は少し雨が降った。

幻想的なめがね橋のライトアップ
猫山が入山禁止のわけ

 6月27日 曇天だが何とかもちそうだ。猫山に登るためにバスで大迫BTへ行き、タクシーで合石(あせいし)へ。猫山はかなり上まで林道が延びているのだが、林道入り口の「入山禁止」看板がチラリと見えたので下車する。8時50分。歩き出してすぐ、草刈りしている人に会釈する。上部は確か牧草地になっているはずだが、林道奥まで車で自由に入って山菜・キノコを採取されては地元生活者としては困るのだろう。

 林道は非常に歩きやすい。県有林となっていて一般車はあまり入れないようだ。地図上にある硯石とはどのようなものなのか、下調べしてこなかったが、見てビックリ。ガマが大口をあけたような大岩だった。10人くらいは庇のような岩の下に入れそうだ。ここまで1時間10分だった。

硯石
 その先の道は山腹を走っているようなので、間近に迫ってきた尾根に上がってみる。尾根上にもかすかに轍があり、それに従う。尾根上には防火林となっている。広い尾根にわずかな踏み跡を辿って草をかきわけていく。ガスが濃いと難儀するだろう。右下に作業小屋があり、草地を進むと開墾地の畑が現れる。硯石からの道はここまで入っている。猫山の山頂部はその先、なだらかな林に包まれていた。カモシカの害から防ぐためか畑はネットで囲っている。何かの野菜の種を植えたばかりのようだ。「入山禁止」とされる理由がこれでわかった。一般車にここまで入られたら畑仕事に差し支える。

猫山の頂上方面
 この先は道はないだろうと真っ直ぐにヤブに突入。猫の背中のような石が出て、その左に道があった。開墾地の左寄りからつけられているようだ。歩きやすく、やがて猫山頂上だ。東側が切り開かれており、早池峰山の連山が正面から見える。頂上には盛岡の山の会によるプレートがあった。とにかく「猫山」に登ることができてうれしい。1000mに満たないが非常にボリュームのある山であることを実感した。

猫山頂上のプレート
猫山から早池峰山
 下山は合石には戻らず、北面の鳥谷に下りることにする。途中、硯石の手前で動物の気配に目を遣ると橙色のテンだった。鳥谷へ林道に入ると、こちらは手入れされておらず陰気で荒れ放題だ。道が沢状となって水が流れ、倒木が道をふさぎ、クモの巣がかかって不快この上ない。当然、車は上がってこれそうもない。

 地形図に水呑場と記載されている付近は、小沢がいくつか横切っていて喉をうるおせる。鳥谷集落側の林道入り口に13時着。ここにも「入山禁止、山菜採取禁止」の立て札がある。鍋屋敷のバス停までの途中、カモシカが悠然と道を横切っていった。15分ほどでバス停に着くと、地元のお爺さんの厚意で大迫BTまで車にのせてもらうことになった。いやはや親切な方だ。

 行きのタクシーで聞いた今年度で閉館の大迫山岳博物館や宮沢賢治記念館には時間切れで次の機会にまわす。次に猫山に登るときは、山スキーか。もちろん、きちんと地主さんに了解をとってだが。

 

2010年6月6日

奥会津・志津倉山の猫啼岩

 志津倉山のカシャ猫伝説

 会津地方は化け猫に関する伝説が多い。志津倉山(1234m)のカシャ猫伝説も、その代表的なものの一つである。

 『その昔、子供のないお爺さんとお婆さんが一匹の猫を飼って可愛がっていました。ある年のお盆にお爺さんが泊まり掛けで芝居を見に行き、お婆さんはその晩、なかなか眠れず、「おらも芝居がみてぃなァー」といって猫の頭を撫でると、猫は隣のへやに行き、「芝居がそんなに見たければ、おらがこれから、その芝居をお見せ申すべ」というと、障子戸に芝居の影が色どりも美しく映し出し、様々な芝居を明け方近くまで見せてくれたのでした。そして「今夜のことは絶対に喋っちゃいけないぜ」というのです。しかし、次の晩お爺さんが芝居の面白かったことを寝物語に語って聞かせると、お婆さんもつい話に乗ったはずみで昨夜の猫の芝居のことを話してしまいました。これを聞いたお爺さんは、「この先どんな化猫にならないとも限らない。末恐ろしいことじゃ」そういうと、翌日さっそく猫をつかまえると箱のなかに入れて、前の川に流してしまいました。すると、不思議なことに、その箱は川下には流れていかず、逆に川上へ流されていきました。そして川上の切り立った岩山に登り、そのまま猫は大辺山(現在の志津倉山)に棲みついてしまいました。
 こうしたことがあってから、この岩山には猫啼岩と呼ばれるようになり、猫は千年の齢を重ねた怪猫(カシャ猫)となって、人もとって食うと伝えられています。』(『みちのく120山』福島キヤノン山の会、歴史春秋出版、1991)
 伝説には次のようなバリエーションもある。
 『昔、志津倉山にばけ猫が住み、大雨、日照り、病をはやらせ、人の亡きがらを食いその命をわがものにして人々を困らせていた。
 これを聞いた弘法大師は志津倉のコシアブラの木で退治し“猫の魔力で天の災いから人を救い病を治す志津倉山の主になれ”とさとされた。それ以来ばけ猫は志津倉山の主になった』(『岳人』555号「志津倉山」、東京新聞出版局、1993)

 なお、大沢右岸にあるスラブの「猫啼岩」は、志津倉山登山道からも望まれる。また、魔除けとしてコシアブラの木を使った「かしゃ猫」はユーモラスな猫の木彫りこけしだ。


 平成22年の山開きに参加

 6月6日(日)の平成22年志津倉山山開きに出かけた。ふだんは騒々しい山を避けているのに山開きという行事になぜ参加したのか。一つは会津宮下駅前から無料のシャトルバスが運行されるというメリットがあること、また地元参加者が多いので伝説やカシャ猫の情報がより得られやすいだろうという狙いがあった。

 前日は駅員の許可を得て会津宮下駅前でテント泊。登山口は駐車スペースが少ないため、車で来る人も多くはバスに乗り換える。参加者は2台のバスに分乗し、7時35分出発。登山口までは30分で到着した。すでに車で来た人たちでいっぱいだった。受付テントで手続き後、祈願祭を行って出発する。8時25分発。

 この上ない好天に恵まれたが、少し蒸し暑い。二子岩コースは残雪があるので回避してほしいということで、大沢コースへ。二子岩コース上部から猫啼岩を正面から見たかったのに残念。

 二子岩コース分岐付近からは、おなじみの雨乞岩のスラブが一望できる。確かに残雪が今年は多いようだ。大沢コースの途中、左手の林間に見えるスラブは猫啼岩の下部ではなかろうかと直感する。5分も登れば基部にたどり着けそうで、猫啼岩を見上げてみたいものだ。しかし、ここでも自粛。

残雪で覆われた雨乞岩のスラブ

 大沢を渡る最後の水場から急登となるので一本。ここまで約50分。シャクナゲ坂の鎖場は大渋滞となってなかなか進まない。これだから、やれやれ…。このまま猫啼岩を見ることもなく頂上へ行ってしまうのかと不安もよぎる。が、一本松の直下から振り返ると猫啼岩の全貌が見渡せた。これまで見た猫啼岩の写真は、二子岩コースから撮影された正面からのものばかりだった。後ろを歩く地元参加のかた2人に、「あれ、猫啼岩ですよね」と一応確かめると、「いや、地元ですが全然わかりません」との答え。そんなものか。よりスケールの大きい屏風岩の方が有名らしい。

シャクナゲ坂から猫啼岩

 一本松を過ぎて急登から解放され、ブナ林の緩やかな尾根となって志津倉山頂上へ。10時40分着。すでに先着7、80人くらいはいるだろうか。三岩岳方面の豊富な残雪が白くまばゆい。ランチタイムも一段落すると、恒例の抽選会となった。何年か前にはカシャ猫をプリントしたTシャツが景品となって、その写真を見たことがあった。今年は、と期待したが出品されなかった。

志津倉山から三岩岳・窓明山方面

 11時25分、下山にかかる。経由する細ヒドコースは見事なブナ林に覆われている。急坂を注意して下り、糸滝を過ぎると右側が切れた階段を下る。安全のため係の人が見守っている。ブナ平では巨木のブナが多くて素晴らしい。この季節は瑞々しい。

細ヒドコースのブナ林

 12時27分、登山口に戻り、三島町観光協会のテントで山菜汁をいただく。観光協会の方に聞けば、木彫りのカシャ猫は現在販売されていないという。制作者(間方集落の長郷さん)が高齢となり作っていないし、オリジナル作品なので後継者もいないようだ。カシャ猫には御守りをいれてあり、化け猫という性格上、観光みやげの目玉にはできないのだろうか。ウーン、残念無念。15年以上も前から手に入れたかったのに。やはり、「猫」の逃げ足は早いのだ。

 帰りのシャトルバスは14時発。参加者に配られた温泉割引券で、駅から徒歩10分の宮下温泉「ふるさと荘」で汗を流す(420円→270円)。もはや幻となったカシャ猫探しにまた来なくてはならないという重い課題が加わった。


2009年11月29日

お疲れ気味?猫駅長「バス」(芦ノ牧温泉駅)

 猫の駅長として有名なのは和歌山電鐵貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫たまだが、東日本でも会津鉄道芦ノ牧温泉駅の名誉駅長猫「ばす」が頑張っている。

 11月28日 きょうは南会津の岩瀬湯本温泉で山岳会の忘年会。最寄り駅は会津鉄道湯野上温泉駅だが、早めに出かけて芦ノ牧温泉駅の駅長ばすの活躍ぶりを見に行くことにした。メスでチンチラとトラ猫のミックス猫だという。平成11年6月に子ども達が迷い猫を駅に連れてきたことがきっかけで駅舎で寝泊まりするようになったらしい。

 11月下旬の会津は寒く、山々はうっすら雪化粧していた。芦ノ牧温泉駅は湯野上温泉駅から二つ目。改札を出て待合室に行くと座布団の上でボロぞうきんのように寝ているバスがいた。写真で見た精悍な顔つきと目の前の寝姿の落差が大きい。10歳だから決して若いとはいえないし、寒さもこたえるのだろう。

 いずれ起き出すだろうから昼飯でも食いに行こう。駅から出て正面の通りを少し行くと「元祖会津ラーメン 創業八十余年」の「牛乳屋食堂」がある。もともとは「牛乳屋」だった由で、ラーメン屋もはじめたから牛乳屋のうしろに食堂をつけたという。なかなか繁盛しているようでラーメンを食べ牛乳を飲む。駅に戻るとバス駅長は相変わらずピクリともせずに爆睡中だった。そっとしておいてあげることにした。

 湯野上温泉駅へ戻って宿泊先の湯本温泉湯口屋へ。翌29日は二岐山に登った。

ボロぞうきん…いや「バス駅長」
駅長室
牛乳屋の猫

2009年9月7日

常保寺(青梅市滝ノ上町)の猫地蔵と猫町散策

 9月6日 惣岳沢〜志田倉沢下降の計画をたてて武蔵五日市駅に降り立った。が、9月からバス時刻が変わり藤倉行は2時間後となってしまった。転進するような沢は特にないし、残暑の中のハイキングも気乗りしない。バス停敗退…。山行中止の連絡を入れて昭和レトロの町・青梅をぶらつくことにした。

猫町青梅の招き猫地蔵

 青梅駅からまず市立美術館の向かいにある瀑布山常保寺(臨済宗建長寺派、青梅市滝ノ上町)へ行く。ここには招き猫の地蔵があるはずだ。合掌一礼の山門をくぐると境内左手に六地蔵があり、その後ろにかなり古そうな猫地蔵があった。小さめの顔と耳にヒゲもきちんと彫られている。背筋のピンとしたスリムな左手上げの招き猫だ。裏面には「南無妙法蓮華経」と彫ってある。寺によると「昭和の中頃、青梅市内の無住寺院の土地処分に伴って引き取った」とのこと。焼香台があるから信仰の対象となっていた猫地蔵であろう。やはり青梅といえば養蚕神との関連が想像される。

常保寺の本堂
招き猫の猫地蔵
背筋がピン
小ぶりの耳に小顔

 次に向かったのはやはり青梅赤塚不二夫記念館(青梅市住江町)で、目当ては招菊千代。赤塚不二夫の愛猫を招き猫にしたもりわじんの作品で、赤塚不二夫1周忌、菊千代13回忌の今年7月27日にご開帳されたばかり。ちょうど「天才バンザイ猫 菊千代展」が開催中だった。もりわじんの手にかかれば菊千代も猫神様になるのだ。おそ松くん世代なので、ついついパソコン画面で懐かしいマンガに見入ってしまった。

マンガを描く猫のオブジェ(赤塚不二夫会館)
もはや神仏扱いの「招菊千代」(もりわじん作)


 お隣の昭和レトロ商品博物館(二階は「雪おんなの部屋」)と通りの向かい側の昭和幻燈館にも立ち寄る。住吉神社に向かう参道には「あおめ招き猫」の「大黒天猫」「恵比寿猫」が鎮座していた。再び駅前に戻って「にゃにゃまがり」の路地に入ってみる。「七曲がり」が正式名称で、幅1mもない狭い路地を七回曲がる。そこかしこに色々な猫のオブジェがあったりする楽しい道だ。


住吉神社の恵比寿猫
住吉神社の大黒天猫
猫のバス停(住江町)
「にゃにゃまがり」は曲がりくねった細い道


 

2009年4月12日

瑠璃寺の薬師猫神様(長野県下伊那郡高森町)

 信州伊那谷にもりわじん作の猫神様(猫薬師)を祀る寺がある。天台宗大嶋山瑠璃寺(下伊那郡高森町大島山)は天永3年(1112年)創建で、2011年に開基900年を迎える古刹だ。わじん氏に制作を依頼して完成するまで1年9か月を要し、平成19年(2007年)4月1日から一般公開された。境内にある天然記念物の「枝垂れ桜」は源頼朝が寄進した桜で見所の一つ。ちょうど満開の頃を狙ってでかけた。

桜満開の伊那谷へ

4月12日 中央高速バスを利用して高森で降りる。JR市田駅からだとかなり遠い。ゆるやかに登り道を15分ほどで瑠璃寺に着いてしまう。散り始めているが枝垂れ桜が圧巻である。薬師猫神様を拝観するため瑠璃の里会館へ。ホール右奥のお蔵に猫神様は鎮座していた。白壁に妖しい光が猫神様を包んでいる。涙でうるんでいるかのような慈悲深い目だ。口元はきりりとしてかつての養蚕の守り神たる猫神の威厳が感じられる。猫神様を中心に左右に日光・月光、手前には十二神将の猫神が並んでいる。座の下には眠り猫神もいた。

 写真撮影は禁止なので、「もりわじん」作品を猫町通販で購入した際にもらったカード(ポストカードではない)の「薬師猫神様」をアップする。


これが「薬師猫神様」

 夜は宵祭りの獅子舞が披露されるとのことで、桜見物客も徐々に増えてきた。枝垂れ桜や鐘楼わきの地主桜(これも頼朝寄進)を愛で、瑠璃寺の周辺を一周してみた。何よりも南アルプスの展望がよく、心が飛んでいきそうだ。一番鋭利な山頂は塩見岳だろうか。眺めがいいと知らず知らずに時間が過ぎていく。名残惜しいが中央高速の高森バス停に戻り予約していたバスを待った。帰路はそれほどの渋滞もなく新宿に着いた。伊那谷には養蚕神としての猫碑も多いと聞く。いずれ時間をとって訪ね歩いてみたい。


源頼朝寄進の枝垂れ桜(天然記念物)
これも頼朝寄進の地主桜
瑠璃寺から南アルプス遠望