1998年8月7日

宮沢賢治の「猫嫌い説」に反論がでた!

 この欄で「宮沢賢治は猫が大嫌いだった」と書いたのは、5月24日だった。ところが「賢治の猫嫌い」に疑問を呈する本が、その4日前の5月20日に筑摩書房から発行されていた。

 『イーハトーブ乱入記 僕の宮沢賢治体験』という題名で、カバーをめくって衝撃的に目に飛び込んできたのが「ほんとうに宮沢賢治は猫が大嫌いだったのだろうか?」。いやはや、驚き、そしてレジにすっとんで行った。2カ月以上も知らなかったなんて……。

 著者のますむら・ひろし氏は、賢治童話の登場人物を猫のキャラクターにした漫画で有名。アニメ版『銀河鉄道の夜』の作者である。

 そのアニメ版の制作にあたり、賢治研究家から「賢治の嫌いな猫ではいかん」とケチがついたのが疑問のきっかけだ。

 『猫』という短編で吹き出す、温厚な賢治らしからぬ嫌悪感の強烈さを奇妙と思わないのか、簡単に猫嫌い説を唱えていいのか、とガックリしたのだという。

 賢治研究家が調べないなら、と自分で調べ始めた氏は、『猫』を書いた前後の賢治が置かれた状況を、友人にあてた手紙などからいわばノイローゼ状態であったことを知る。東京で人造宝石商をやりたいという夢を父に拒否され、いやいや家業の質屋の店番を悶々と務めていたころに、『猫』は書かれた。

 ならば「とし老った猫」とは「このまま古着屋の店番で、年老いていく宮沢賢治自身」であり、「そうした姿に追い込む『父・政次郎』」ではないのだろうか?と推測する。

 また、『セロ弾きのゴーシュ』の三毛猫に対する残虐性にもふれ、必ずしも生理的な猫嫌い等の理由では納得できない不思議な疑問をも、賢治に恋心を抱いていたという女性教師・高瀬露との関係から謎解きしていく。

 さらに猫嫌いと言うのはたやすいが、「賢治という人はそんなにたやすい人ではない」ことを、『猫の事務所』の釜猫が教えてくれると説明する。それほど宮沢賢治という人は「複雑な怪物なのだ」と。かつては猫嫌いでよくいじめ、いまは6匹の猫とくらす著者ならではの分析だ。

 ろくに賢治を読み込んでもいないぼくには、なるほどと思うことばかりだった。大嫌いとは断言できないと言えそうだが、逆に猫が好きという材料はほとんどないのがつらいところ。自分自身はやはり、どちらかといえば賢治は猫嫌いだとは思う。

 しかし、もはや賢治と猫の関係は、好きか嫌いかの問題ではなさそうだ。複雑な怪物・宮沢賢治にとっても猫は、謎めいた深ーい存在だったのだろうか。まだまだ未知の、猫と賢治の不思議な関係を解き明かしていくヒントを、この本は与えてくれた。

 たった一枚だけ描いたという、賢治の猫の絵が載っているのもうれしい。山と猫を結ぶ糸は、山-山猫-猫-賢治のつながりからもたぐる必要がありそうだ。

1998年6月14日

『日常生活の冒険』は猫小説である

 読んだ方も多いと思われるが、大江健三郎の『日常生活の冒険』という小説が好きで何度か読み返した。かつて岩崎元郎さんも『岳人』のコラムの中で、一番お気に入りの小説に挙げていたのでうれしくなった(今は・・・)。

 「現代の行動的英雄を志向し続けた一青年の生涯」と帯にはあるのだが、日常生活の冒険家=要するにやりたい放題の勝手気ままネコ人間がいっぱい登場する話だ。

 大江の20代後半の作品で、『政治少年死す』で右翼に狙われたりして、今後の小説の志向を模索していた時期らしく、その辺の心理的動揺も読みとれる。

 恩師に「こんなものを書いていてはだめだ」と指弾された小説とは、この本のことではないかとぼくはピーンときた。でも、単純なぼくなんかにはちょうどいい読み物なんですけどね。

 この小説が好きなのは、ネコ人間だけでなくナマ猫も登場するからだ。主人公である日常生活の冒険家・斎木犀吉のお気に入り猫「歯医者」は、香港生まれでオレンジ色の縞々猫。ある事情から、四国の谷間の村の長老に預けていたが、引き取りに行ったときには地元の郎党猫どもを率いる巨大な野猫になっていた。

 そこで子供たちをも動員して「歯医者」を捕獲する一大作戦が組まれるのである。すごいのは、捕らわれた猫の王(歯医者)は夜になると犬のように遠吠えし、月夜に照らされた庭に数知れない猫の群がびっしりと埋めて、「歯医者」のいる部屋の方向へ「さかしげに頭をもたげて坐っていた」というから、山猫探検隊のぼくとしてはたまらないのであります。

 大江は、捕獲作戦の終了した下りでこう書いている。

 「エジプトのフェリス・ドメスティカがどのようにして東洋にまでつたわり、しかも尾のみじかい東洋風のイエネコができたか、どんな動物学者もはっきりした答を出せないように、猫という動物にはなお廿世紀人間のはかりしれない数かずの秘密があるのではありませんか?」

 大江さん、あなたもなかなかのネコロジストですねえ!

1998年5月24日

宮沢賢治は大の猫嫌いだった

 宮沢賢治が、大の猫嫌いだったことを知る人は少ない。まず、「猫」と題する次の短編を読んでほしい。知らなかった人は、びっくりするかもしれない。

(四月の夜、とし老った猫が)
友達のうちのあまり明るくない電燈の向こふにその年とった猫がしづかに顔を出した。
(アンデルセンの猫を知ってゐますか。暗闇で毛を逆立ててパチパチ火花を出すアンデルセンの猫を)
実になめらかによるの気圏の底を猫が滑ってやって来る。
(私は猫は大嫌ひです。猫のからだの中を考へると吐き出しさうになります)
猫は停ってすわって前あしでからだをこする。見てゐるとつめたいそして底知れない変なものが猫の毛皮を網になって覆ひ、猫はその網糸を延ばして毛皮一面に張ってゐるのだ。
(毛皮といふものは厭なもんだ。毛皮を考へると私は変に苦笑ひしたくなる。陰電気のためかも知れない)
猫は立ちあがりからだをうんと延ばしかすかにかすかにミウと鳴きするりと暗の中へ流れていった。
(どう考へても私は猫は厭ですよ

 大正8(1919)年5月、賢治23歳のときの作品である(翌年5月改稿)。この短編を読む限り、異常なほどの猫嫌悪症をみてとれるが、ここまで賢治に書かせた原因や経緯は知る由もない。

 自分は、童話『どんぐりと山猫』や『注文の多い料理店』『猫の事務所』に登場する山猫や猫どもに親しみを覚えてきたから、賢治の猫嫌いには驚いたものだ。

 『猫』を読んでから、山猫が象徴するのは自然であり、あるいは畏怖の対象であろうという解釈は、何となく分かる気がする。

 かつて『銀河鉄道の夜』がアニメ映画化されたとき、ジョバンニとカムパネルラの少年たちが猫に描かれたのも、賢治童話の理解に猫がわかりやすいキャラクターとして採用されたのだろうと思う。

 あれが犬だったら、自分はたぶん映画館に足を運ばなかっただろうし、公開記念の猫バッジをもらうために、1時間も前から受付に並ばなかったはずだ。『猫』という短編を知ったのは、それからずっと後だったが、賢治という人の不可解な一面を垣間見た気がする。

 「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と言い放った賢治のアキレス腱が、猫だったとは皮肉なものですね。

1998年5月10日

ヒマラヤの猫山みーつけた

 プロフィールには書いていないが、自分は日本ヒマラヤ協会会員(会費納めているだけ ※1999年末で退会)でもある。海外山行は一回だけで、しかも5000m級の山でへろへろになってきたくらいだから、あまり向いていないことは承知している。

 それでも初めての海外山行後の高揚した気分のときに、次は6000m級をと考えたのは確かで、情報だけは集めておこうというつもりで入会したのだった。努力次第では、50歳過ぎてからでもチャンスがこないともかぎらないし、刺激を受けておきたい意欲はまだある。

 ところが、海外どころか国内の山さえもごぶさた続きの昨今、退会しようかどうかの瀬戸際にたたされているのが実情。まあ、自分の山のレベルでは、協会主催のキャンプでなくても、トレッキングパーミッションで登れる山が頑張っても精一杯だろうから、どうってことないんだけど……。

 それはともかく、毎月送られてくる協会報の『ヒマラヤ』3月号(第316号)の表紙写真に、猫山が登場していたのでここで紹介しておきます。

 その山は、バトゥーラ山群の未登峰ハチンダール・キッシュ(7,163m)の隣にそびえるアイカチュ・チョック(C6,500m)という岩峰。

 「招き猫のような」と写真説明にあるように、左手招きでちょっと太めの愛敬ある招き猫山である。右の耳が欠けているのが残念だが、登山者に声援を送っているようで、見る側も気分がよろしかったのではなかろうか。

 これを機に海外にも猫山はあるのかどうか、外国山名辞典で調べて見よう。ヨーロッパあたりには英語でいえばキャッツ・ピークとかワイルドキャッツ・フォレストなんてえのがありそうですね。

1998年4月19日

猫山探しは面白い 2

 今回の猫山探しの話題は、ちょっぴり残念な話。猫と縁のある東京都唯一の山として登場させるかどうか大いに悩んだのが、奥多摩・戸倉三山の臼杵山(835m)だ。

 頂上の臼杵神社にある一対のお狗様が猫であるというのは、ガイドブックにも紹介されているから、臼杵山は猫山であると喜んでいいはずである。養蚕の守り神の使い姫として猫を祭る風習から、狛犬のかわりに猫の像となったといわれる。

 しかし、「岳人」511号で日本石仏協会会員の田中英雄氏が、「奥多摩のお狗様考」と題して考察した中で、お狗様信仰と養蚕の石像が造られはじめた時期のズレを指摘し、臼杵山の石像は猫ではなくお狗様であると結論づけている。

 「岳人」520号の山の雑学ノート(「猫に化けた山犬」関本快哉氏)でも、「歴史のどこかで、山犬碑を取り違えたのではないか」と述べている。最初に臼杵山の狛犬を猫と紹介したのは、奥多摩研究で知られる宮内敏雄氏の著書「奥多摩」(昭和19年、昭和刊行会)だったという(前出「奥多摩のお狗様考」)。

 なにぶん手がかりとなる史料にも乏しく、本当のところどうなのかは今後の研究次第だろう。臼杵山に登ってその石像をみるかぎり、猫にはとても見えなかったので分はなさそうだ。

 ただ、猫山ウオッチャーの自分としては、猫碑であってほしいという願望と、ガイドブック等ですでに「猫らしからぬ猫」などと扱われている話題性から、この際、猫山リストに挙げておいてもよろしかろう思うのですが……。(そうしましょう)

1998年4月5日

猫山探しは面白い 1

 猫と縁のある山を調べていて、興味深いことが二つあった。

 そのひとつは、北アルプス・乗鞍岳の一峰である「猫岳」(2,581m)についてだ。猫岳と名のつく山はいくつかあるが、なかなか見つけられなかったのが、この乗鞍・猫岳だった。

 自分が乗鞍岳に登っていなかったということもあるが、山名調査の参考にした「コンサイス日本山名辞典」(三省堂)と「日本山岳ルーツ大辞典」(竹書房)のどちらにも記しておらず、この段階では見落としていた。

 その後、たまたま「すぐ役立つ 山を楽しむ山名辞典」(石井光造著、東京新聞出版局)という本を見たら、著者の選んだ1200山に入っているではないか。新しく猫山が見つかったのはうれしいが、疑問も湧いた。

 地図でみると道はなく尾根上のこぶにすぎず、すぐ脇を乗鞍スカイラインが走っている。不思議なのは、山名辞典や乗鞍岳のガイドブックにも記述がないこの山がなぜ、「1200山」には載っているのかだった。

 著者の前文によると、1200山の選定の参考にしたのは、建設省国土地理院発行の「日本の山岳標高一覧 1003山」とのことで、確かめたら乗鞍岳の猫岳は「標高点」のある山としてちゃんと載っている。

 このため、必ずしも登山の対象としては魅力の薄い乗鞍の猫岳も、1200山に入れてしまったということだろう。
 
 探せば猫山はまだまだありそうだ。もう一つについては、次回に。

1997年12月30日

日本山岳ルーツ大辞典で大発見?

 年末29日に、書店の山岳コーナーを覗いてみたら「日本山岳ルーツ大辞典」(監修・池田末則、編著・村石利夫)という大冊があり、買ってしまった。竹書房の新刊で19000円は少々痛かったが、その山に関する民話も載っているということで、猫と山のかかわりを調べるのに役に立ちそうだ。

 一般に猫山などの山名の「猫」という字は単なる当て字で、実のところ猫とは縁もゆかりもないのがほとんど。しかし、この辞典を開いてビックリしてしまったことがある。「ヤマネコ山遊記」の沢登り記録にも出てくる「山猫森(1034m)」のルーツについて、同辞典では「この山中には鳥や魚を捕らえて生きている獰猛な山猫が棲息している山名」と明記している。

 これは大変なことになった。ルーツのルーツを辿る必要がありそうだ。山猫といっても野生化した猫という意味なのだが、山名に使われるどういう事情があったのか、興味深い。地元の地誌を洗う必要がある。

 あの猫又伝説のある猫又山でさえ、「ネコは峰の意味でマタは間とか二つの谷という意味」だなんて、そっけない。せめて「猫又が棲むとの伝説から名付けられた」などということを期待していたのに。

 結局、猫とのかかわりを示す山名は、この辞典では山猫森だけだった。もっと民話や伝説も参考に解説してほしかったが。とりあえず本腰を入れて猫と山のかかわりを追究すべき使命を、このホームページに与えられたと解釈し、今年最後のネコクサ通信を終えます。