1999年2月28日

失せ猫どもはどこで修行するのか

 猫の随筆本をめくると、たまに家出猫についての話がでてくる。どこかへ修行に行ったのではないかと書いてあったりすると、自分はランランと輝く猫目になってしまう。その修行先とはどこだ? どこだと思ってるんだ!

 だが、「中部山岳地帯の荒寺」や「木曽の山中」「何年か修行すると化けられる寺」「遠州森の秋葉神社」などと書かれている程度で、本で読んだとか、ある人から聞いたとか、出所がどうもはっきりしないのだ。これじゃ猫どもはほくそ笑み、自分のイライラはつのるばかりである。

 その昔、年老いた猫は山中に入るとされ、地域によっては狐に誘われて山に行くとも考えられた。飼う場合にはあらかじめ年期を猫に言い聞かせ、年期が来ると追い出したり、あるいは自ら言いつけどおりに失踪したのもいるという。

 “冥界”である山に入った猫が戻ったとあらば、妖力をつけてきたと考えるのは自然のことであっただろう。飼い主からすれば「たくましい顔つきになって帰ってきた」と、戻り猫に感心するくだりをある本で最近読んだが、現代でさえ家出猫の振る舞いには不可思議さを残している面がある。

 失せ猫を戻すおまじないで有名な百人一首「立ちわかれいなばの山の峰におふる まつとしきかば今帰りこむ」の「いなばの山」にひっかけて、失せ猫は「九州のいなばの山の猫山」に居るからと説いたとする伝承もあった。

 「九州のいなばの山」が阿蘇の根子岳(猫岳)であるのは明白で、この山こそ猫の王となるべき猫どもをいかに多く集めたのかは、「猫岳参り」の伝承がこの地方にかなり多いことからもわかる。九州での修行先はこれでいいとしても、本州の中部山岳にある猫岳という山は乗鞍のそれをおいてないが、そこでは猫岳参りの伝説は聞かない。

 北アルプス山麓にある通称・猫寺にも、猫どもが修行のため集まって来たという昔話もない。とすると、家出〜戻るとたくましくなっている〜修行したから〜修行先は深山か山寺のはずだ〜日本の真ん中である中部山岳には猫岳という山と通称・猫寺があるという(ここで九州の「猫岳参り」の民話をあてはめる)……中部山岳説は、ざっとこんな流れなのではなかろうか?

 最近、これらの問題を解明すべくタイムリーな刊行となった『猫の王〜猫はなぜ突然姿を消すのか』は、本格的に猫山を取り上げた初めての本で、昨年末に一気に読了した。しかし、その重厚な論考にもかかわらずなお物足りなさが残ってしまうのはなぜか。

 登山する側の立場から全国各地の猫山を想起するとき、その山々が辿ってきた人と猫と山との深淵なつながりと戦(おのの)きをもっと蘇らせなければと高ぶってしまい、ヤマネコのひげは遠い昔をしのんでピクついてしまうのであった。

 とはいうものの、家出猫がご近所の家でのうのうと幾日か過ごし、その後また別の家に上がり込んではカジケ猫を決め込んでいるなどというのが、案外、修行の真実だったりする。

 自分の郷里で昔飼っていた猫が、何日かの家出の果てに「肥溜め」(昔はよく畑の脇などにあったのだよ)にはまり、化け猫どころかクサ猫になってプーンと戻ってきたときには、家族一同ぶっとんでしまったものだ。こういう修行はしてほしくないものである、猫どもよ!

1999年1月31日

猫とハーケン

 いっときの寒波が緩み、柔らかな陽射しが注ぐ土曜午後の猫日和、思い立って地下鉄に乗って都心へと向かった。降りたのは九段下駅。ここから千鳥ガ淵に沿って竹橋まで歩いていくのだ。

 千鳥が淵沿いの散歩道は都内でも有数の猫スポットだという。猫おばさんでも来ない限り、猫どもが集まっているわけではない。植え込みにポッカリあいた空間をのぞいて見ると、じっとしていたり昼寝している。猫おばさんに作ってもらった手製のつぐらなどあって、その上に座っている場合もある。

 カメラを向けるとエサでもくれるかとすり寄ってくるのもいるが、たいていは無視するか、昼寝のじゃまをするなとでも言いたげにカッと目を見開いて警戒した。

 猫ゾーンを過ぎると、学生時代に遊んだ石垣は間近い。通っていた大学は神田駿河台にあったので、いつも皇居のお濠周辺をランニングしていた。そのころは常盤橋公園の石垣など知らなかったから、千鳥ガ淵のとある秘密の石垣で岩登りまがいの練習をしたことがあるのだ。

 半蔵濠手前で左折して尾根状の散歩道に上がると、すぐその場所がわかった。丸いコンクリート台がいくつかあるところだ。台の上でよく腹筋を鍛えたものだが、それがかつてB29を迎え撃つ高射砲の台座だったとは知らなかった。

 石垣基部に降りるため、懸垂下降の支点に使った木は20数年の時を経てかなり太くなっていた。しかし、その脇に立つ「柵内に入らぬこと 環境庁皇居外苑管理事務所」という、当時はなかった立て看にとまどい、直接石垣をのぞき込むことは遠慮してしまった。のぞいたところでザイルがなければ、下におりられるわけではない。

 当時、石垣遊びする者がぼくらの他にもいたらしいことは、すでにその木にあったザイルずれが証明していた。そして、きょうの本当の目的は、石垣にあった1枚のハーケンがまだあるかどうかを確かめたかったのだが……。

 春になったらまた猫どもを見に来ようとは思う。しかし、石垣にはもう行くことはないだろう。人工壁全盛のいま、歴史的遺物に取り付く不埒者などもういないだろうし、記憶の片隅にあのハーケンも打ち込まれたままにしておくことにしよう。竹橋に向かって歩きながら、そう思った。

1998年12月6日

「ヤマネコ山遊記」開設1周年記念・ヤマネコインタビュー

◆ヤマネコさん、開設1周年おめでとうございます。

「あっという間の1年だったニャ。しかし、問題はこれからだな。だいたい個人の(山の)HPは、開設1〜2年たつとそれっきりというのが多いんだよね。ネタ枯れというか、とくに山行報告中心のページは、仕事に追われて山へ行けなくなるとプッツン。ヤマネコの場合は大丈夫だけど」

◆というと?

「過去300回以上の山行メモが大部分残ってるからね。今のところ70本の記録しか出してないし、昔の記録をちょぼちょぼ追加していけば3年は安泰だニャ。どうせ最近は年10回も山に行かないから」

◆そういうの、アリ? 20年前の記録なんてネコマタギもいいとこじゃないの?

「そうじゃニャいのよ。『ヤマネコ山遊記』は、バリバリ現役で登ってますよっていうHPじゃないの。私は今までこうやって山を遊んできましたという、言ってみれば遊びの自分史代わりなんだから。最近、年譜付きの自分史をネットで公開するのが流行しているらしいし。そうだ、“古いが新しい”なんてキャッチフレーズどう?」

◆自分史なんてジジ臭くない? もっと頑張ってもらわにゃ。

「仕事柄、金曜日は午前様なんだニャ。月曜日もフル回転だし、山へ行く環境としては最悪……おっと、ニャーニャー言っても始まらないか。まあ、少しは変なとこ(沢)載せていくけどね。誰も行かないドブ沢シリーズとか!? でも、仕事抱えて山もガンガン登り、HPも随時更新していける人は一握りじゃない? 最近は山関連のHP数が一時ほど増えていないのが気になるな。それに比べると釣り関連のHPは元気で、山の2倍以上の数がある。山同様、奥が深いけど、エネルギーもすごい。猫ページも多いんだけど、ただカワユイ自慢だけだと見る気がしない」

◆それ、猫飼えないヒガミ? ところで面白い山のHPの条件は?

「人それぞれだろうけど、自分自身の登り方をどうアピールしているかが第一かニャ。ただ百名山をなぞっていても仕方ない(百名山ファンの方ごめんニャ)。ヤマネコの場合は、猫下ろし(食い残し)的な静かでマイナーな山に興味があるから、山行形態も結果的に沢登りが多くなってしまう。難度追求タイプじゃないからハードな遡行はしないけど、やさしい沢でも面白くつないで、岩登りで言うルートラインの美しさというか、面白い遡下降ルートにこだわってみたい気はまだある。もう一つは、山プラスアルファにこだわりがあることだろうかニャ」

◆わかる。山菜、イワナ釣り、キノコ、高山植物、写真とか?

「そう、何でもいいんだナーゴ。焚き火、ブナとか昆虫でも。ヤマネコは蝶やトンボの採集が山登り前段階だったけど、もう採集はしていない。かつて昆虫少年だったという山屋さんは多いニャ。蝶好きが高じて山岳会名になったりする。ゼフィルスとか……。ヤマネコだったら『パルナシウス山の会』がいいニャ。パミールで、優雅に舞うパルナシウス(ウスバシロチョウの仲間=氷河時代の遺物といわれる蝶)を見たときは胸が高鳴ったニャン。東北や越後の山で出会うベニヒカゲも愛らしい。話が飛んだけど、ヤマネコのプラスアルファとは、知っての通り『猫』だニャ。そのへんの経緯はすでに書いているから省略するけど。山と猫を結ぶ“点と線”は、当初考えていたよりも複雑で、けっこう奥が深いって感じ。今までは民俗学、動物学、妖怪学などの分野でそれぞれ断片的に言われてきたことを、山好きの視点も加えてつなぎ合わせてみると面白い『猫山学』が生まれそうだぞ、マイナーだけど」

◆いろいろ勝手に盛り上がってきましたね。最後に2年目の抱負を。

「とりあえずは“古いが新しい”シリーズを少しずつ追加していくこと。殴り書いたノートから復元するので大変だけど、忘れていたことが蘇ってきたりして懐かしい。やっぱり山行記録は丹念につけておきたいもんだニャ。表紙デザインは、テーブルが複雑すぎて何とかせにゃ。貧弱なタイトルロゴも変えたい。それと近々『西新宿招き猫通り』シリーズ始めるんだニャ。これは猫ページへと大化けする布石になるかもしれん」

◆来年も「ヤマネコ山遊記」からは目が離せそうもありませんね。

「ニャ」
                (このインタビューはもちろん架空のやりとりです)

1998年10月25日

猫山の総本山は雲南にあり

 中国・雲南省といえば、京大学士山岳会の大量遭難で有名になった梅里雪山(メイリー・シュエシャン=6,740m)をはじめ、岩壁を張り巡らした玉龍雪山(ユーロン・シュエシャン=5,596m)など魅力的な山々があることで知られる。

 25もの少数民族がおり、貴重な動植物の宝庫でもある。なかでもトラやヒョウ、ヤマネコなどネコ科動物の棲息地ゆえに、トラを自分たちの祖先としている一部の少数民族さえいるのは興味深い。

 動物が人間になりすまして人を襲うという伝承は中国に多いが、代表的なのが「虎人伝説」だ。これらの伝承を残した漢民族からすれば、雲南は辺境で異端の地であり、トラを祖先とするような少数民族を畏怖し、妖怪視したのではないかと妖怪研究家・多田克巳氏は書いている(季刊「怪」第壱号・「雲南で発見する日本妖怪のルーツ」)。

 虎と同様に人を襲う猛獣で、大きな山猫の総称を中国では「狸(り)」と呼び、日本の猫股や化け猫伝説の原型をなしたといわれる。狸(り)は、ネコ科猛獣のいない日本では狸(タヌキ)と同一視されたが、いかんせんタヌキでは妖怪としての迫力に乏しく、猫股や化け猫に変化していったというわけだ。

 動物民話の豊富な雲南にも、猫にちなむ山があるはずだと思っていたら、同じく雲南の動物地名に興味を持った今村余志雄氏が、著書『猫談義』の中ですでに調べていた。無量山脈の最高峰で猫頭山(Maotou Shan=3,306m)という猫山の親分みたいな山があるのだ。

 中国登山ガイド本の『中国登山指南』(中国・成都地図出版社、1993)に載る地図で見ると、この山は省都・昆明(クンミン)から西南西に約200キロほど離れたところに位置する。「猫の頭」というのがなかなかいい。山名の由来はどういうことなのだろうか。頂上付近に猫の耳のような岩峰でもあるのか、あるいはかつてヤマネコがたくさん棲んでいて、親分ネコの住処だったのか。

 いずれにしても、雲南の山と猫に関する自分の情報は前出の本に記された範囲を出ないので、今後調べていくことにしたい。91年にパミールにでかけたあと、次に登ってみたい海外の山として中国、特に四川や雲南に惹かれたのは、猫山の総本山が呼んでいたからなのかもしれない。

1998年9月27日

子トラは現代の猫股になり得るか

 9月18日に起きた信貴生駒スカイライン(奈良県平野町)での「トラ」騒ぎは、その後の捜索でハクビシンなど4種類が捕獲されただけで、肝心の子トラは見つかっていないという。子トラだから生き延びるには厳しいだろうが、たくましい生命力で命をつながないともかぎらない。

 万が一に備えて地元の幼稚園や小、中学校では、町教委の指導で集団登校しているそうだ。これが昔だったら、子トラがトラとなり、いつのまにか大猫や猫股に化けて、挙げ句の果てに山で人を襲ったらしいと肥大した伝聞となっていくのだろうか。

 猫股の正体として同じようなケースで推論した研究家がいたのを思い出す。皇室や幕府への献上品、あるいは見世物として渡来したトラやヒョウの類が山野に逃亡し、まれには人を襲ったことがあったのではないか、というのだ(実吉達郎「ねこの本」1972)。

 そうした事実が記録として残っていない以上想像の域を出ないものの、自分自身は全くないとも言えない話だと思っている。何でもありの現代では、ペットとして飼われていたニシキヘビやイグアナなどでさえ河川敷や住宅地で見つかるくらいだから、密輸されて逃げたベンガルヤマネコだって山野で遭遇するかもしれない。

 早くも奈良の「トラ」騒ぎもメディアから忘れられた感があるが、今回の事件はしばらく記憶にとどめておくことにしよう。何年かたって、「夜だからよく見えなかったけどスカイラインを大型の動物が横切った」なんて目撃者が現れて、またぞろ大騒ぎするかもしれないから。

 猫股伝説が現代に復活するチャンスでもあると、密かに山猫ワンダラーは期待しているのです。

1998年8月7日

宮沢賢治の「猫嫌い説」に反論がでた!

 この欄で「宮沢賢治は猫が大嫌いだった」と書いたのは、5月24日だった。ところが「賢治の猫嫌い」に疑問を呈する本が、その4日前の5月20日に筑摩書房から発行されていた。

 『イーハトーブ乱入記 僕の宮沢賢治体験』という題名で、カバーをめくって衝撃的に目に飛び込んできたのが「ほんとうに宮沢賢治は猫が大嫌いだったのだろうか?」。いやはや、驚き、そしてレジにすっとんで行った。2カ月以上も知らなかったなんて……。

 著者のますむら・ひろし氏は、賢治童話の登場人物を猫のキャラクターにした漫画で有名。アニメ版『銀河鉄道の夜』の作者である。

 そのアニメ版の制作にあたり、賢治研究家から「賢治の嫌いな猫ではいかん」とケチがついたのが疑問のきっかけだ。

 『猫』という短編で吹き出す、温厚な賢治らしからぬ嫌悪感の強烈さを奇妙と思わないのか、簡単に猫嫌い説を唱えていいのか、とガックリしたのだという。

 賢治研究家が調べないなら、と自分で調べ始めた氏は、『猫』を書いた前後の賢治が置かれた状況を、友人にあてた手紙などからいわばノイローゼ状態であったことを知る。東京で人造宝石商をやりたいという夢を父に拒否され、いやいや家業の質屋の店番を悶々と務めていたころに、『猫』は書かれた。

 ならば「とし老った猫」とは「このまま古着屋の店番で、年老いていく宮沢賢治自身」であり、「そうした姿に追い込む『父・政次郎』」ではないのだろうか?と推測する。

 また、『セロ弾きのゴーシュ』の三毛猫に対する残虐性にもふれ、必ずしも生理的な猫嫌い等の理由では納得できない不思議な疑問をも、賢治に恋心を抱いていたという女性教師・高瀬露との関係から謎解きしていく。

 さらに猫嫌いと言うのはたやすいが、「賢治という人はそんなにたやすい人ではない」ことを、『猫の事務所』の釜猫が教えてくれると説明する。それほど宮沢賢治という人は「複雑な怪物なのだ」と。かつては猫嫌いでよくいじめ、いまは6匹の猫とくらす著者ならではの分析だ。

 ろくに賢治を読み込んでもいないぼくには、なるほどと思うことばかりだった。大嫌いとは断言できないと言えそうだが、逆に猫が好きという材料はほとんどないのがつらいところ。自分自身はやはり、どちらかといえば賢治は猫嫌いだとは思う。

 しかし、もはや賢治と猫の関係は、好きか嫌いかの問題ではなさそうだ。複雑な怪物・宮沢賢治にとっても猫は、謎めいた深ーい存在だったのだろうか。まだまだ未知の、猫と賢治の不思議な関係を解き明かしていくヒントを、この本は与えてくれた。

 たった一枚だけ描いたという、賢治の猫の絵が載っているのもうれしい。山と猫を結ぶ糸は、山-山猫-猫-賢治のつながりからもたぐる必要がありそうだ。

1998年6月14日

『日常生活の冒険』は猫小説である

 読んだ方も多いと思われるが、大江健三郎の『日常生活の冒険』という小説が好きで何度か読み返した。かつて岩崎元郎さんも『岳人』のコラムの中で、一番お気に入りの小説に挙げていたのでうれしくなった(今は・・・)。

 「現代の行動的英雄を志向し続けた一青年の生涯」と帯にはあるのだが、日常生活の冒険家=要するにやりたい放題の勝手気ままネコ人間がいっぱい登場する話だ。

 大江の20代後半の作品で、『政治少年死す』で右翼に狙われたりして、今後の小説の志向を模索していた時期らしく、その辺の心理的動揺も読みとれる。

 恩師に「こんなものを書いていてはだめだ」と指弾された小説とは、この本のことではないかとぼくはピーンときた。でも、単純なぼくなんかにはちょうどいい読み物なんですけどね。

 この小説が好きなのは、ネコ人間だけでなくナマ猫も登場するからだ。主人公である日常生活の冒険家・斎木犀吉のお気に入り猫「歯医者」は、香港生まれでオレンジ色の縞々猫。ある事情から、四国の谷間の村の長老に預けていたが、引き取りに行ったときには地元の郎党猫どもを率いる巨大な野猫になっていた。

 そこで子供たちをも動員して「歯医者」を捕獲する一大作戦が組まれるのである。すごいのは、捕らわれた猫の王(歯医者)は夜になると犬のように遠吠えし、月夜に照らされた庭に数知れない猫の群がびっしりと埋めて、「歯医者」のいる部屋の方向へ「さかしげに頭をもたげて坐っていた」というから、山猫探検隊のぼくとしてはたまらないのであります。

 大江は、捕獲作戦の終了した下りでこう書いている。

 「エジプトのフェリス・ドメスティカがどのようにして東洋にまでつたわり、しかも尾のみじかい東洋風のイエネコができたか、どんな動物学者もはっきりした答を出せないように、猫という動物にはなお廿世紀人間のはかりしれない数かずの秘密があるのではありませんか?」

 大江さん、あなたもなかなかのネコロジストですねえ!