読んだ方も多いと思われるが、大江健三郎の『日常生活の冒険』という小説が好きで何度か読み返した。かつて岩崎元郎さんも『岳人』のコラムの中で、一番お気に入りの小説に挙げていたのでうれしくなった(今は・・・)。
「現代の行動的英雄を志向し続けた一青年の生涯」と帯にはあるのだが、日常生活の冒険家=要するにやりたい放題の勝手気ままネコ人間がいっぱい登場する話だ。
大江の20代後半の作品で、『政治少年死す』で右翼に狙われたりして、今後の小説の志向を模索していた時期らしく、その辺の心理的動揺も読みとれる。
恩師に「こんなものを書いていてはだめだ」と指弾された小説とは、この本のことではないかとぼくはピーンときた。でも、単純なぼくなんかにはちょうどいい読み物なんですけどね。
この小説が好きなのは、ネコ人間だけでなくナマ猫も登場するからだ。主人公である日常生活の冒険家・斎木犀吉のお気に入り猫「歯医者」は、香港生まれでオレンジ色の縞々猫。ある事情から、四国の谷間の村の長老に預けていたが、引き取りに行ったときには地元の郎党猫どもを率いる巨大な野猫になっていた。
そこで子供たちをも動員して「歯医者」を捕獲する一大作戦が組まれるのである。すごいのは、捕らわれた猫の王(歯医者)は夜になると犬のように遠吠えし、月夜に照らされた庭に数知れない猫の群がびっしりと埋めて、「歯医者」のいる部屋の方向へ「さかしげに頭をもたげて坐っていた」というから、山猫探検隊のぼくとしてはたまらないのであります。
大江は、捕獲作戦の終了した下りでこう書いている。
「エジプトのフェリス・ドメスティカがどのようにして東洋にまでつたわり、しかも尾のみじかい東洋風のイエネコができたか、どんな動物学者もはっきりした答を出せないように、猫という動物にはなお廿世紀人間のはかりしれない数かずの秘密があるのではありませんか?」
大江さん、あなたもなかなかのネコロジストですねえ!