臼杵山(842m、うすきねやま)は東京都あきる野市と西多摩郡檜原村との境にあり、市道山(795m)、刈寄山(687m)を加えて戸倉三山と呼ぶ。北峰頂上(檜原村側)に臼杵神社があり養蚕の神を祀る。一対の阿吽の石像は猫であるともいわれてきたが、現在は否定的な見方が強い。実際に石像を見みると狛犬(お狗さま)であり、猫とするにはかなり無理があるようだ(ヒゲがない、口の形が違うなど)。なぜ狛猫説が根強く通用してきたのか。
臼杵山だけを登ることはあまりないだろう。たいてい戸倉三山をまとめて登った方が変化があり充実する(1993年1月9日に臼杵山〜市道山〜刈寄山を歩いたが臼杵神社には立ち寄らず)。今回は、臼杵神社の調査なので北西の元郷から直接臼杵神社に至る道を登った。養蚕信仰の時代には賑わった道だ。はじめ伐採地でうるさいが、尾根にでると小一時間で神社に着く。「幻の狛猫」は画像のとおり「お狗さま」だが、なかなかユニークなお姿をしている。
向かって右の「幻の狛猫」。見た目はお狗さま |
正面から見た「幻の狛猫」 |
背面から見た「幻の狛猫」 |
左の「幻の狛猫」は崩れて蛙のようだ |
名著の記述が一人歩きした「狛猫」
臼杵神社の狛犬を猫と紹介したのは、宮内敏雄著『奥多摩』(昭和刊行会、昭和19年刊)だ。臼杵山を紹介するくだりで「嶺に蚕の守護神として地方的に有名な宮があり、その神前には狛犬代りに猫の像がある。これは養蚕の守り神の使姫は猫であるとの俗信に據ったものなのである」と石像を猫と断定している。同書は、著者の戦死後出版された奥多摩のバイブルともいわれる稀覯本である。また、瓜生卓造著『檜原村紀聞』(東京書籍、昭和52年)では、臼杵神社は「地元では長く養蚕の神としてあがめられていた」とあるものの、猫の像については何も触れていない。
その山に伝説や言い伝えがあるとガイドブック等には枕詞のように記述されることが多い。「天狗伝説で有名な〜」のたぐいである。奥多摩の名著に登場したがゆえに「臼杵山の狛猫」は戦後何十年もの間一人歩きしてきたわけだ。狛犬にしては頼りなさそうで、かわいいともいえる風貌も「猫」として通用させた原因の一つだろう。猫派からすれば「狛猫」願望は強く、変な猫・ユニークな猫のまま鎮座してほしかった。臼杵神社でも、かつて養蚕の盛んな時代には猫の焼き物が奉納されたようだが、今は小さな社に招き猫すら置かれておらず養蚕の神の面影はない。