2010年8月21日

「妖怪・化け猫展」(平木浮世絵美術館)、豪徳寺ほか

「納涼 妖怪・化け猫」展へ

 猛暑続きのなか平木浮世絵美術館(江東区豊洲)で「納涼 妖怪・化け猫」展を観賞する(500円)。美術館は、ららぽーと豊洲の1Fにあるのだが、とてつもなくでかいショッピングセンターだ。展示されていた化け猫関係の作品としては歌舞伎の「岡崎の猫」に題材をとったものがほとんど。見たことがあるものが多く、あまり新鮮味はなかった。主な出品作は以下の通り(化け猫関連)。


歌川国芳 「五拾三次之内 岡崎の場」 天保6年(1835)
歌川国芳 「見立東海道五拾三次 岡部 猫石の由来」 嘉永期(1848−54)
同「昔ばなしの戯 猫又年を遍古寺に怪をなす圖」 弘化4年(1847)頃
歌川国貞(豊国Ⅲ) 「岡崎八ツ橋村の妖怪 玉嶋逸當 猫石の変化」 嘉永期(1848−54)
歌川国周 「東海道五十三次 岡崎 尾上梅幸の猫石の怪」 明治4年(1871)
楊州周延 「二嶌実ハ両尾の古猫」 明治20年(1887)
 

 化け猫以外にも猫の登場する浮世絵をみたかったが、「にゃんとも猫だらけ」という企画展が2006年に開催されていた。カタログを売っていたので購入する(1500円)。

白金の自然教育園で涼む

 妖怪浮世絵では納涼にならず、以前から行きたかった国立科学博物館附属自然教育園(目黒区白金台)に転進。正門は東京都庭園美術館の隣で入園料は300円だ。広大な白金台地に豊かな自然が残る都会のオアシスである。落葉樹・常緑樹に広く覆われ、池や小川もある。「白金長者」という言い伝えを残す豪族の土累も残っている。大きな樹木に囲まれた園内にいると、東京のど真ん中にいることを忘れさせてくれる。ただ隣接して走る高速道の騒音が少し気になった。

招き猫のルーツの一つ・豪徳寺へ

 自然教育園散策は十分に満足したが、やはり猫関連史跡に行きたくなった。日が長いのでもう一がんばりすることにした。渋谷から井の頭線経由で小田急線豪徳寺へ向かう。豪徳寺駅を降りると大きな招き猫の石像がある。高校生が群がっていてシャッターチャンスがない。とにかく豪徳寺へ急ぐ。

 山門をくぐると参道左手に招福観音堂があり、手前右に猫絵馬、左奥に招き猫の奉納所がある。また、招き猫のルーツとなった伝説で彦根藩二代目藩主・井伊直孝を雷雨から救った猫(たま)の墓もある。夕刻だったので蚊がたくさんいて油断するとすぐ刺される。タンクトップにホットパンツ姿の外国人女性が招き猫や絵馬の写真を熱心に撮っているが、群がる蚊に対して全然平気なのが不思議だった。招福殿で招福猫児の一番小さい3号を求めてから井伊家の墓所にも行ってみる。直孝の墓は正面で、桜田門で暗殺された直弼は左手奥に眠っている。

招福観音堂入り口の招福門
招福観音堂に飾られた招福猫児や御札
招き猫奉納所の左に「たまの墓」 

 豪徳寺商店街の招き猫はほとんどが豪徳寺で売られている猫だった。なお、自治体ゆるキャラとして絶大な人気がある滋賀県彦根市のひこにゃんは「彦根の、にゃんこ」を略した愛称だが、彦根城築城400年記念イベントのイメージキャラとして平成19年(2007)に生まれた。なぜ猫なのかというと、豪徳寺の招き猫伝説にあやかっているからである。ひこにゃん公式サイトのプロフィールによると「彦根藩二代目藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる“招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたきゃらくたー。」と説明されている。


商店街にも豪徳寺の招福猫児
ほとんどが豪徳寺猫

招福猫児の由来(招福猫児の説明書)
東京都世田谷区豪徳寺二丁目の豪徳寺は、幕末の大老 井伊掃部頭直弼公の墓所として世に名高く、寺域広く、老樹爵蒼として堂宇荘厳を極め賓者日に多く、誠に東京西郊の名刹なり。
されど昔、時は至って貧寺にして二三の雲水修行して、漸く暮しを立つる計りなりき。時の和尚、殊に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割て猫に与え吾子のように愛育せしが、或日、和尚猫に向かい
「汝、我が愛育の恩を知らば 何か果報を招来せよ」 と言い聞かせたるが、其の後幾月日が過ぎし、夏の日の昼下がり、俄かに門の辺り騒がしければ、和尚何事ならんとて出てみれば、鷹狩の帰りと思しき武士五六騎門前に馬乗り捨てて入り来り、和尚に向かい謂えるよう「我等、今当寺の前を通行せんとするに、門前に猫一匹うずくまりて居て我等を見て手を上げ、頻りに招く様のあまりに不審ければ訪ね入るなり、暫く休息致させよ」とありければ、和尚いそぎ奥へ招じ渋茶など差出しける内、天 忽ち曇り夕立降り出し雷鳴り加わりしが、和尚は心静かに三世因果の説法したりしかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむ、やがて「我こそは 江州彦根の城主 井伊掃部頭直孝なり 猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かること是れ偏へに仏の因果ならん 以来更に心安く頼み参らす」とて立帰られけるが、是れぞ豪徳寺が吉運を開く初めにして、やがて井伊家御菩提所となり、田畑多く寄進せられ一大加藍となりしも
全く猫の恩に報い、福を招き寄篤の霊験によるものにして、此寺一に猫寺とも呼ぶに至れり。
和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其の冥福を祈り、後世この猫の姿形をつくり招福猫児と称へて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、商売繁盛、心願成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。
                                      曹洞宗 大谿山 豪徳寺

2010年7月25日

会津・猫魔ヶ岳と志津倉山の木彫りカシャ猫探し

代表的な化け猫伝説の山・猫魔ヶ岳

 猫魔ヶ岳(1404m)は猫又伝説の代表的な山の一つ。釣り上げた魚目当てに老女に化けた雌猫を郷士が斬り殺したため、山の主たる猫王はその奥方を食い殺して樹上に吊し復讐。怒りの郷士が宝刀で妻の仇を討つという粗筋である。

 「耶麻郡桧原村の豪勇の士・穴沢善右衛門は奥方を連れて磐梯の湯に行った。奥方を残し、宿の下男と山裾の沼へ釣りに出かけた。思わぬ大漁に夢中になり日も暮れかけたので、その日は近くの釣り小屋に泊まることにした。魚を焚き火で焙り夕食をとっていると、小屋の入り口から覗く老婆がいる。驚いたことに善右衛門の乳母ではないか。中に引き入れ串焼きの魚を差し出すと、ぺろりとたいらげ飢えた者のような食欲である。思い出話をしてもつじつまがあわず、魔性の者と見破った善右衛門は太刀で斬り殺した。明け方になると老婆は年老いた一匹の黒猫となって口から血を吐いて死んでいた。
 急ぎ湯治場へ帰る途中、奥方が昨夜から行方不明と聞かされた。山中を村人らが捜索したところ断崖の上にそびえ立つ老樹に、変わり果てた奥方の屍体を見つけた。
 近くにいた木樵り風の男に遺体の引き下ろしを頼むと、男は「腰に差している刀を貸してくれたなら」という。伝家の宝刀だからと断ると男の態度が一変し、「われこそはこの山の主、猫王なるぞ。先夜、我妻を一刀のもとに斬り殺したであろう。その仇を討たんがため汝の妻を食い殺したのだ。刀を渡さないと汝をも食い殺してやる」と一喝して、するすると梢に登り怪猫の正体を現した。そして「ギャオーッ」と叫ぶと奥方の遺体をくわえて、宙を飛ぶように梢をわたり姿を消した。
 怒狂った善右衛門は村人達を動員して山を包囲し、化け猫退治に乗り出した。幾日かの後、洞穴に潜む化け猫と奥方の屍体を見つけた。善右衛門は伝家の宝刀で怪猫を真っ二つにして、奥方の屍体を取り戻した。それ以来、怪猫を斬った山を猫魔ヶ嶽といい、宝刀貞宗は猫切丸の異名で呼ばれ、穴沢家に永く伝えられた」というもの。北塩原村桧原には、穴沢家の五輪塔群がいまでも残っている。

 このほか、「猫魔ヶ岳に出る化け猫が人々に危害を与えるというので、これを退治しようとした殿様がいたが、計画が猫に聞こえ、奥方様を人質に取られた。これを鉄砲名人の百姓六三が救い出し、沢山の褒美を貰った」(『みちのく120山』福島キャノン山の会、歴史春秋出版)という伝説があるようだが、元文は未見だ。

 善右衛門が釣りをした沼は、猫魔ヶ岳西方の雄国沼だ。北方の檜原湖で釣りをする人々にも危害を与えたともいう。この点について平岩米吉は「人里離れた高地の沼と、釣り上げた魚と、山猫との間には、何か関連がありそうである」と書いている(「猫の歴史と奇話」1992 築地書館)。

 かつて猫魔ヶ岳の猫を祀った磐梯神社では、文政年間(1812~29)に猫の絵を描いたお札を発行していた。山頂西方にある猫石について『新編会津風土記』では、「磐梯山の西にあり、高九十丈周二里計、昔猫またありて人を食ふしとてこの名あり、北の方に猫石とて其面畳の如くなる大石あり、其の下草木を生せす、塵埃なく掃除せしか如し、猫また住すめる故なりと云(後略)」と記されている。なお、松尾芭蕉の詠んだ「山は猫 ねぶりていくや 雪の隙」の句は天和年間(1681~84)の作とされているから、猫又伝説はそれ以前に成立していたと思われる。

猫魔ヶ岳に登る

 7月24日 雄国沼登山道入り口でバスをおりる。猛暑の予報だが、雄国沼登山道はブナ林の涼しい道で助かる。沢も横切るので水には困らない。雄国沼休憩舎手前で雄国山への道が分岐する。水量豊富な水場がある。休憩舎は数十人は泊まれそうな立派なログハウス。大勢のハイカー、学校登山団体で混み合う。雄国沼の散策も楽しそうだ。

雄国沼と猫魔ヶ岳(中央左)と猫石(中央右)

 猫石(1335m)が見える。約1時間の行程だ。急登となるとポッカリと猫石頂上に着いた。猫石そのものがピークとなっている。西方に磐梯山(1818m)が猫魔ヶ岳の向こうに見える。猫石を下ると、すぐ下山コースの厩岳山への分岐である。猫魔ヶ岳からの磐梯山の眺めがすばらしい。

猫石

猫魔ヶ岳から磐梯山

 厩岳山(1261m)への道も歩きやすく、ブナ林の道である。スキー場の存在はここまで目に入らず意外だった。厩岳山からの猫石は猫が寝そべっていると思えなくもないが、見た目が小さい。

 10分も下ると馬頭観音堂と行基清水(冷たくおいしい)だ。三十三番目の石地蔵がある。参道入り口が一番札所となっており、植林地を過ぎると登山口だ。地図どおり真っ直ぐ下る道は草に覆われており、林道を左に少し歩いてから明瞭な道を右に辿ると集落に出た。

 磐梯町駅周辺の地図は持参しておらず、道を間違えて15分のロス。会津若松駅前の白木屋で夕食後、只見線で会津宮下へ向かう。駅前でテントを張ったら駅員に追い払われる。仕方なく宮下活性化センター裏に移動する。

(コースタイム)登山口10:00 雄国沼休憩舎11:15〜11:30 猫石12:30〜45 猫魔ヶ岳13:02〜10 厩岳山14:00〜10 行基清水14:20 登山口15:41 磐梯町駅17:00

木彫りのカシャ猫を求めて三島町へ

7月25日 暑くてあまり眠れなかった。4時には起き出して神社でコーヒーを飲む。7時過ぎまで表通りを散策。カシャ猫を置いてそうな店を探す。いったん駅へ戻り、8時すぎに宮下温泉栄光館に朝風呂をいただきに。おかみは民芸品が好きだと栄光館のサイトにあったので、何か手がかりがありそうだった。

 奥会津書房の脇を通り抜け、下ったところに栄光館がある。入浴料500円。さっぱりとして、土産物売り場で『会津学4号』を購入。おかみさんに聞くと、カシャ猫は15、6年前までは販売していたそうだ。町長宅の「斉藤用品店」に聞いてみるとよいのではとアドバイスを受ける。

 役場入り口の休憩所(水場)でしばらく『会津学』を読みふける。カシャ猫伝説のことにも触れており参考になる。

 9時近くになったので、斉藤用品店へ伺う。町長の息子さんが出てきて、ここにもないということで、生活工芸館に電話してくれた。販売はもうしていないが、展示しているものはあるということなので、向かうことにする。山開きの際に入浴したふるさと荘を過ぎてからが遠かった。西片駅をすぎると、さすがに暑くてバテてきた。ふるさと荘から2・5キロほど行って左へカーブして坂を上がって、さらに右に登っていくとやっと工芸館入り口だ。

 工芸館で電話を受けた方は、『会津学』にも登場していた菅家さんだった。案内され事務室右手の部屋左奥の棚に2体あった。径8センチ、高さ25センチくらいの大カシャと、径4センチ、高さ20センチくらいの小カシャだった。単純な作りだが思ったより手が込んでいて、ヒゲまでついていた。コシアブラの木でつくられているという。間方出身の菅家さんも自宅にひとつ置いてあるという。作者の長郷(なごう)さん宅に在庫があるかもしれないといって電話していただいたが不在だった。

カシャ猫の木彫り(長郷千代喜作)

 空腹だったので、隣のカフェでソバを食べ、主人に宮下駅まで送っていただき大助かりだった。「カシャ猫」と出会えたので所期の目的は果たせたが、実物を見たら味わいのある木彫りでぜひともほしくなった。後日、長郷さんに電話してみると、ヤマブドウのツル細工も作っていないし、カシャ猫は手元にないということだった。

 

2010年7月19日

戸隠山の「ねこまたの岩屋」(埼玉県鳩山町)

「ねこまたの岩屋」

埼玉県比企郡鳩山村須江 戸隠山
戸隠山に岩屋がある。昔、古猫がこの岩屋に沢山集まり、笛を吹いたり、仕舞を舞ったりしたという。             『川越地方郷土研究』四冊

 ねこまた伝説の全文はこれだけにすぎない。比企郡鳩山村は現鳩山町。この一帯は外秩父の丘陵地帯で周辺の開発が進み、地形図を見ても戸隠山という山は見当たらない。須江という地名は残っているが、北側に98.3mの標高点があり周辺の最高地点だ。実際に伝説の地を歩いてみることにした。

埼玉県唯一のねこまた伝説の地

 7月19日 朝から強烈な太陽が照りつける。きょうは沿線地の探索なので気楽だ。東上線武蔵嵐山駅でおりて笛吹峠へ向けて歩いていく。途中、源義賢の墓地や源義仲、源義高生誕地、縁切り橋(東征中の坂上田村麻呂が、心配して訪ねてきた奥方を叱りつけ京に返した)、将軍塚など見所がある。また、笛吹峠までの一帯は蝶の里としてオオムラサキの保護に力を入れている。峠までのなだらかな登りで涼しげなクヌギ林で心地よい。この道はかつての旧鎌倉街道で幾多の武士団らが往き来したところだという交通の要所であった。


 約50分で峠に着く。ハイカーも訪れていて休憩所もあり、一息入れる。「クマ出没注意」の看板があり、こんな里山にも出没するのかと驚く。「平成20年5月27日に熊の目撃情報あり」と記されていた。峠から西に幅広の道が続いている。東に行けば物見山へと続くハイキングコースだ。98.3m標高点を通る西の道に入る。北が嵐山町、南は鳩山町の境界道となっている。標高点付近から南側に入る道があり、そちらに行ってみる。明るく開けた伐採跡に出る。南側は谷を隔てて森となって人家は見えず、里山とは思えない山中にいる感じ。このあたりが戸隠山というのだろうか。雑木林とヤブで自由に歩き回ることはできない。
涼しげなクヌギ林のトンネルを笛吹峠へ
笛吹峠

里山ながら「熊出没注意」の看板

ねこまたの岩屋はこの森に?
 境界線の道に戻り、熊除けに声を上げる。すると、子供の声が返ってきた。車道に出る手前に人家があり、二階から子供がこちらを見ていた。別荘ではなさそうで、寂しいところに住んでいるものだ。車道を下っていくと右手に少し大きい貯水池がある。ほとりに地蔵様が鎮座している。池の南側には社があり、のぞくと戸隠大神と九頭龍大神の文字が見えた。農耕と水を祀る戸隠信仰あることから須江の山を戸隠山と呼んだということは容易に想像できる。少し下った集落から再び山に入る道がある。車も入れる道で途中人家があり、戸隠山の件について聞いてみたが、比較的新しい住人だからなのか知らないということだった。

池端に祀られた戸隠大神と九頭竜大神

農業用貯水池?
 笛吹峠からS字状に戸隠山と目される森を辿って須江集落の南端に回り込む。ここには長命寺という寺があり、何か手がかりになる話をキックことができるのかもと期待していたが、無住の寺となっていた。大きな門構えの農家の前に来た。迷ったが暑いさなかにおじゃまするのは気が引けて断念。これではいないのだが。黒石神社、桝井戸遺跡(町指定記念物)と見ながら、須江の集落を離れ、玉川から八高線明覚駅に向かった。途中、玉川工高前の車道で交通事故に遭った動物は猫かと思ったら大きなタヌキだった。この日は最高気温36度まで上がり、調査するには厳しすぎる猛暑であった。

須江集落と戸隠山方面
 この日歩いただけでは具体的な手がかりはなく、土地の古老か町役場に問い合わせる必要がある。しかし、岩屋の場所を特定することは困難であろう。

2010年7月4日

北上山地・六角牛山と笠通山山麓の猫石探査

六角牛山と猫川

 猫川は岩手県遠野市の早瀬川上流、遠野三山の一つ六角牛山(1294m)付近に発する。

 『遠野物語拾遺 176』(角川文庫)には、「青笹村の猫川の主は猫だそうな。洪水の時に、この川の水が高みへ打ち上がって、たいへんな害をすることがあるのは、元来猫は好んで高あがりするものであるからだといわれている。」とある。地形図をみると、現在の猫川は砂防堰堤だらけで氾濫しやすい暴れ川だったことが分かる。源流は柏手のように何本かの急峻な沢から猫川に一気に流れ込む地形となっているのだ。六角牛山は、そんな暴れ川をかかえる山とは思いもつかない優美な山容である。

 ところで鉄砲水のことを利根川支流湯檜曽川の流れる地元、群馬県水上町では「猫まくり」と呼ぶ。平成12(2000)年8月6日に起きた湯檜曽川での鉄砲水事故が記憶に新しい。事故当時80〜120センチ水位が上昇し、谷川山麓で合宿キャンプ中だった少年サッカー団を襲った。「猫まくり」は「壁のように押し寄せる水の波頭が、猫の前脚のように曲がる様子から来た言葉だ」(asahi.com 8月7日配信記事)と注目された。猫川の洪水は「猫の高あがり」だが、いずれも異常な出水を猫の動きに例えているのは偶然とはいえ興味深い。

六角牛山へ登る

7月3日 六角牛山は以前から登ってみたいと思っていた。この土日は、まずこの山を片づけ、翌日は北上山地最北端の久慈平岳を登る計画だ。

 新花巻に着くと昨夜の豪雨による土砂崩れで釜石線が不通となっていた。振替輸送バスで遠野駅まで行く。六角牛山方面は雲に覆われており、上部は雨かもしれない。六角牛神社でタクシーを下りようと思っていたが、林道終点まで入れるとのこと。終点にはマイクロバス(秋田ナンバー)が止まっており、団体さんが先行しているようだ。

六角牛山登山口
六角牛山頂から中沢への尾根
中沢登山道下部の気持ちいい道
 しっとりとした樹林帯を登っていくと7合目から急登に変わる。岩がゴツゴツして歩きづらい。団体14名が下山してくる。湯沢を朝4時に出てきたそうだ。9合目には小屋があり、頂稜の一角に出る。頂上はガスであまり展望がない。晴れていれば遠野盆地が一望だろうに。北方で雷鳴がする。雨を心配して早々に下山にかかる。中沢への道は誰にも会わず歩きやすかった。登山口から林道をショートカットするが、地形図上の道はあまり使われていないようで沢を強引に渡って林道に上がる。

 六神石神社分岐から青笹駅までのロードは日差しも出て蒸し暑くなった。振り返ると六角牛山が見渡せるほどに天候回復。きょうは陸中海岸北部の久慈まで行くので、猫川の流れを見に行くことはできない。猫川の源流から六角牛山に登るのも面白そう。沢の記録は見ないので、そのうち登ってみたいものだ。

 釜石線は午後に復旧したようだ。予定通り、釜石で山田線に乗り換え、さらに宮古で北リアス線に乗り換えてようやく久慈へ辿り着く。霧で海は見えず。宮古線は豪雨で不通になったらしい。雨上がりの久慈に下り立つ、駅前の養老の瀧で夕食後、市内の道の駅でテント泊。

再び遠野の猫石探査へ

7月4日 ガスが濃く、山は霧雨模様。久慈平岳は中止として八戸に出て、再び遠野に舞い戻ってきた。遠野駅でレンタサイクルを借りて、猫石探査のため笠通林道を目指す。

 40分ほどで続石、そして笠通林道入り口を過ぎて小峠へ向けて400mほど登っていく。どうもこちらではなさそうなので、笠通林道入り口に自転車を置いて林道に入ってみる。右手山側斜面の杉林に見当をつけて探すがそれらしき大石はない。いったん下って畑仕事中の爺様に声をかけ、「猫石を知りませんか」と訊ねる。すると下の家を指さし、「そこで聞けば分かる」というようなことを言う。「それは猫石さんですか」と聞くとうなずくので、これはしめたと思う。そのお宅に行って声をかけると、畑からおばちゃんが上がってきた。

笠通林道入り口
 猫石はやはり笠通林道を少し入った右手斜面にあるのだという。1〜2分も上がると分かるらしい。ご主人(屋号猫石さん)は出かけているが、いれば案内させるのだがと恐縮していた。以前にも何人か猫石を探しに来た人がいると言っていた。

 もう少していねいに探せば見つかるだろうとタカをくくって、もう一度林道に戻る。しかし、かなり上まで行っても見つからずじまい。汗だくになってしまう。あとでネットで調べたら、もう少し奥へ入ったところで、左側に駐車スペースがある地点らしい。今日はここまでとして探査を切り上げる。帰りがけ10年ぶりに続石に立ち寄った。

 今回は収穫がなかったわけではないので、遠野駅に向け自転車を漕ぐ気分はまずまずであった。帰宅後、続石をネットで調べたら弁慶の枕石の近くに「猫石」があるということで、写真まで載っていたのに驚く。これはどういうことだろう。つまり、綾織地区に「猫石」は二つあることになる。さらに安部貞任伝説の「猫岩」は笠通山西麓にあるとにらんでいるので、遠野通いはしばらく続けなくてはならなくなった。

遠野市内で目ヤニ猫がお出迎え

2010年6月27日

北上山地・笠通山と猫山

笠通山のキャシャ

 『遠野物語拾遺 113』によると、
 「綾織村から宮守村に越える路に小峠という処がある。その傍の笠の通という山にキャシャというものがいて、死人を掘り起こしてはどこかへ運んで行って喰うと伝えている。また、葬式の際に棺を襲うともいい、その記事が遠野古事記にも出ている。その恠物であろう。笠の通の付近で怪しい女の出て歩くのを見た人が、幾人もある。その女は前帯に赤い巾着を結び下げているということである。宮守村の某という老人、若い時にこの女と行き逢ったことがある。かねてから聞いていたように、巾着をつけた女であったから、生け捕って手柄にしようと思い、組打ちをして揉み合っているうちに手足が痺れて出して動かなくなり、ついに取り逃がしてしまったそうな。」
 とある。

 キャシャとは葬式の際に棺を襲う妖怪で、猫が化けたものと伝えられている。棺の上に刃物を置く風習は、この猫の化け物から死体を守るためだといわれた。会津の志津倉山に棲んだというカシャも、同じく猫の化け物である。同類の妖怪「火車」の話は西日本に多いとされる。


 登山の対象としての笠通山(かさのかようやま)は余り魅力がないのか、ガイドブックにもほとんど紹介されていない。わずかに北上山地の山々をくまなく踏査した記録である『かぬか平の山々』(日本山岳会岩手支部編 現代旅行研究所 1988年発行)に紹介されているのみである。869mという標高のわりに根の張った山で、登ってみなければ面白いかどうかは判断できない。地形図では南面に林道が入り込んでいるので植林の山だろうということは想像できる。

奥深さを背中で感じる笠通山

 6月26日 釜石線宮守駅からタクシーに乗る。今年は熊が二度ばかり出たとのことだ(いずれも綾織地区)。笠通林道は入ったことがないというので、柏木長根から笠通林道を少し入ったところで下車。あまり奥まで入ると現在地が分からなくなる恐れがある。水源涵養林で手入れの行き届いた林相である。しっかりした歩きやすい林道で「県有林事業看板」のある分岐で左の林道へ。もうひとつの分岐を左に入ると左へ左へとゆるく登っていく。登山口へ向かう林道だと確信する。やがて草に覆われてやや不安になるが、轍はしっかりしている。右に曲がってさらに左に曲がると林道終点で登山口の標識がある。

笠通山登山口(林道終点)
 左上に上がっていく登山道は少し上まで工事用足場の鉄パイプで手すりが作られている。あまり人は入っていない様子。ピンクテープが目印だ。10分も登るとピーク直下で錆びた剣を見る。三つのピークがあるということだが、最初のピークから遠野盆地が望める。はるかにかすんでいるのは六角牛山だろう。草をかきわけていくと中央のピークにも剣がある。三つめのピークに「三笠山」の石碑と「笠通山」のプレートがあった。

笠通山から遠野盆地と六角牛山遠望
笠通山中央ピークの古剣
笠通山山頂の三笠山碑
笠通山の山頂
 山頂直下まで車で入れることが登山の対象として面白味がなく、逆に展望のほとんどない林道を下から歩くのもイヤ。このあたりがこの山が敬遠される理由なのだろう。いずれにしても初見で頂上に立つのは読図力が不可欠である。2万5千分図では林道の 林道を歩いているとぞくぞくとするような奥深さを感じる。遠野物語の山ならではの感覚だ。

 県有林事業看板の分岐まで下り、左の林道に入るとすぐ山側に造林小屋と山の神の石碑があった。右には池があり、あまり使われていないような道も下っている。轍があり気になったが、しっかりした林道を進めば南側の和山に下れるだろうとタカをくくる。しかし、行けども行けども山腹を縫っていくばかり。ついに車道に抜けたと思ったら、向こう側に千葉家住宅が見えるではないか。綾織の滝沢集落に出たということは、笠通林道を東西に横断したことになる。笠通山の林道に関しては、2万5千図の情報は古いままである。しかし、このハプニングが思わぬ幸運をもたらしてくれる。

 川を渡って千葉家住宅前に出、遠野街道を南下していくと遠野の名勝のひとつ「続石」の入り口である。10年ほど前に遠野を初めて訪れた際、観光バスで千葉家住宅やカッパ淵などとともに見て回ったのでパスする。すると小ぶりな続石と綾織地区の周辺案内石があったので、何気なく目をやったら「猫石」と彫られているではないか。その場所はついさきほど下ってきた笠通林道付近だ。林道入り口から少し入ったあたりか。場所が特定できないでいた猫石とニアミス?していたことになる。これは思わぬ収穫だ。戻って探すのは次の機会に回すことにして、岩手二日町の駅に到着。林道歩きで足が痛くなった。15時15分。

 釜石線をいったん宮守駅まで戻る。今夜のねぐらは道の駅みやもりで、建物脇の気持ちよい草地にテントを張る。夕刻になると釜石線のめがね橋がライトアップされて幻想的であった。夜は少し雨が降った。

幻想的なめがね橋のライトアップ
猫山が入山禁止のわけ

 6月27日 曇天だが何とかもちそうだ。猫山に登るためにバスで大迫BTへ行き、タクシーで合石(あせいし)へ。猫山はかなり上まで林道が延びているのだが、林道入り口の「入山禁止」看板がチラリと見えたので下車する。8時50分。歩き出してすぐ、草刈りしている人に会釈する。上部は確か牧草地になっているはずだが、林道奥まで車で自由に入って山菜・キノコを採取されては地元生活者としては困るのだろう。

 林道は非常に歩きやすい。県有林となっていて一般車はあまり入れないようだ。地図上にある硯石とはどのようなものなのか、下調べしてこなかったが、見てビックリ。ガマが大口をあけたような大岩だった。10人くらいは庇のような岩の下に入れそうだ。ここまで1時間10分だった。

硯石
 その先の道は山腹を走っているようなので、間近に迫ってきた尾根に上がってみる。尾根上にもかすかに轍があり、それに従う。尾根上には防火林となっている。広い尾根にわずかな踏み跡を辿って草をかきわけていく。ガスが濃いと難儀するだろう。右下に作業小屋があり、草地を進むと開墾地の畑が現れる。硯石からの道はここまで入っている。猫山の山頂部はその先、なだらかな林に包まれていた。カモシカの害から防ぐためか畑はネットで囲っている。何かの野菜の種を植えたばかりのようだ。「入山禁止」とされる理由がこれでわかった。一般車にここまで入られたら畑仕事に差し支える。

猫山の頂上方面
 この先は道はないだろうと真っ直ぐにヤブに突入。猫の背中のような石が出て、その左に道があった。開墾地の左寄りからつけられているようだ。歩きやすく、やがて猫山頂上だ。東側が切り開かれており、早池峰山の連山が正面から見える。頂上には盛岡の山の会によるプレートがあった。とにかく「猫山」に登ることができてうれしい。1000mに満たないが非常にボリュームのある山であることを実感した。

猫山頂上のプレート
猫山から早池峰山
 下山は合石には戻らず、北面の鳥谷に下りることにする。途中、硯石の手前で動物の気配に目を遣ると橙色のテンだった。鳥谷へ林道に入ると、こちらは手入れされておらず陰気で荒れ放題だ。道が沢状となって水が流れ、倒木が道をふさぎ、クモの巣がかかって不快この上ない。当然、車は上がってこれそうもない。

 地形図に水呑場と記載されている付近は、小沢がいくつか横切っていて喉をうるおせる。鳥谷集落側の林道入り口に13時着。ここにも「入山禁止、山菜採取禁止」の立て札がある。鍋屋敷のバス停までの途中、カモシカが悠然と道を横切っていった。15分ほどでバス停に着くと、地元のお爺さんの厚意で大迫BTまで車にのせてもらうことになった。いやはや親切な方だ。

 行きのタクシーで聞いた今年度で閉館の大迫山岳博物館や宮沢賢治記念館には時間切れで次の機会にまわす。次に猫山に登るときは、山スキーか。もちろん、きちんと地主さんに了解をとってだが。

 

2010年6月6日

奥会津・志津倉山の猫啼岩

 志津倉山のカシャ猫伝説

 会津地方は化け猫に関する伝説が多い。志津倉山(1234m)のカシャ猫伝説も、その代表的なものの一つである。

 『その昔、子供のないお爺さんとお婆さんが一匹の猫を飼って可愛がっていました。ある年のお盆にお爺さんが泊まり掛けで芝居を見に行き、お婆さんはその晩、なかなか眠れず、「おらも芝居がみてぃなァー」といって猫の頭を撫でると、猫は隣のへやに行き、「芝居がそんなに見たければ、おらがこれから、その芝居をお見せ申すべ」というと、障子戸に芝居の影が色どりも美しく映し出し、様々な芝居を明け方近くまで見せてくれたのでした。そして「今夜のことは絶対に喋っちゃいけないぜ」というのです。しかし、次の晩お爺さんが芝居の面白かったことを寝物語に語って聞かせると、お婆さんもつい話に乗ったはずみで昨夜の猫の芝居のことを話してしまいました。これを聞いたお爺さんは、「この先どんな化猫にならないとも限らない。末恐ろしいことじゃ」そういうと、翌日さっそく猫をつかまえると箱のなかに入れて、前の川に流してしまいました。すると、不思議なことに、その箱は川下には流れていかず、逆に川上へ流されていきました。そして川上の切り立った岩山に登り、そのまま猫は大辺山(現在の志津倉山)に棲みついてしまいました。
 こうしたことがあってから、この岩山には猫啼岩と呼ばれるようになり、猫は千年の齢を重ねた怪猫(カシャ猫)となって、人もとって食うと伝えられています。』(『みちのく120山』福島キヤノン山の会、歴史春秋出版、1991)
 伝説には次のようなバリエーションもある。
 『昔、志津倉山にばけ猫が住み、大雨、日照り、病をはやらせ、人の亡きがらを食いその命をわがものにして人々を困らせていた。
 これを聞いた弘法大師は志津倉のコシアブラの木で退治し“猫の魔力で天の災いから人を救い病を治す志津倉山の主になれ”とさとされた。それ以来ばけ猫は志津倉山の主になった』(『岳人』555号「志津倉山」、東京新聞出版局、1993)

 なお、大沢右岸にあるスラブの「猫啼岩」は、志津倉山登山道からも望まれる。また、魔除けとしてコシアブラの木を使った「かしゃ猫」はユーモラスな猫の木彫りこけしだ。


 平成22年の山開きに参加

 6月6日(日)の平成22年志津倉山山開きに出かけた。ふだんは騒々しい山を避けているのに山開きという行事になぜ参加したのか。一つは会津宮下駅前から無料のシャトルバスが運行されるというメリットがあること、また地元参加者が多いので伝説やカシャ猫の情報がより得られやすいだろうという狙いがあった。

 前日は駅員の許可を得て会津宮下駅前でテント泊。登山口は駐車スペースが少ないため、車で来る人も多くはバスに乗り換える。参加者は2台のバスに分乗し、7時35分出発。登山口までは30分で到着した。すでに車で来た人たちでいっぱいだった。受付テントで手続き後、祈願祭を行って出発する。8時25分発。

 この上ない好天に恵まれたが、少し蒸し暑い。二子岩コースは残雪があるので回避してほしいということで、大沢コースへ。二子岩コース上部から猫啼岩を正面から見たかったのに残念。

 二子岩コース分岐付近からは、おなじみの雨乞岩のスラブが一望できる。確かに残雪が今年は多いようだ。大沢コースの途中、左手の林間に見えるスラブは猫啼岩の下部ではなかろうかと直感する。5分も登れば基部にたどり着けそうで、猫啼岩を見上げてみたいものだ。しかし、ここでも自粛。

残雪で覆われた雨乞岩のスラブ

 大沢を渡る最後の水場から急登となるので一本。ここまで約50分。シャクナゲ坂の鎖場は大渋滞となってなかなか進まない。これだから、やれやれ…。このまま猫啼岩を見ることもなく頂上へ行ってしまうのかと不安もよぎる。が、一本松の直下から振り返ると猫啼岩の全貌が見渡せた。これまで見た猫啼岩の写真は、二子岩コースから撮影された正面からのものばかりだった。後ろを歩く地元参加のかた2人に、「あれ、猫啼岩ですよね」と一応確かめると、「いや、地元ですが全然わかりません」との答え。そんなものか。よりスケールの大きい屏風岩の方が有名らしい。

シャクナゲ坂から猫啼岩

 一本松を過ぎて急登から解放され、ブナ林の緩やかな尾根となって志津倉山頂上へ。10時40分着。すでに先着7、80人くらいはいるだろうか。三岩岳方面の豊富な残雪が白くまばゆい。ランチタイムも一段落すると、恒例の抽選会となった。何年か前にはカシャ猫をプリントしたTシャツが景品となって、その写真を見たことがあった。今年は、と期待したが出品されなかった。

志津倉山から三岩岳・窓明山方面

 11時25分、下山にかかる。経由する細ヒドコースは見事なブナ林に覆われている。急坂を注意して下り、糸滝を過ぎると右側が切れた階段を下る。安全のため係の人が見守っている。ブナ平では巨木のブナが多くて素晴らしい。この季節は瑞々しい。

細ヒドコースのブナ林

 12時27分、登山口に戻り、三島町観光協会のテントで山菜汁をいただく。観光協会の方に聞けば、木彫りのカシャ猫は現在販売されていないという。制作者(間方集落の長郷さん)が高齢となり作っていないし、オリジナル作品なので後継者もいないようだ。カシャ猫には御守りをいれてあり、化け猫という性格上、観光みやげの目玉にはできないのだろうか。ウーン、残念無念。15年以上も前から手に入れたかったのに。やはり、「猫」の逃げ足は早いのだ。

 帰りのシャトルバスは14時発。参加者に配られた温泉割引券で、駅から徒歩10分の宮下温泉「ふるさと荘」で汗を流す(420円→270円)。もはや幻となったカシャ猫探しにまた来なくてはならないという重い課題が加わった。


2009年11月29日

お疲れ気味?猫駅長「バス」(芦ノ牧温泉駅)

 猫の駅長として有名なのは和歌山電鐵貴志川線貴志駅(和歌山県紀の川市)の三毛猫たまだが、東日本でも会津鉄道芦ノ牧温泉駅の名誉駅長猫「ばす」が頑張っている。

 11月28日 きょうは南会津の岩瀬湯本温泉で山岳会の忘年会。最寄り駅は会津鉄道湯野上温泉駅だが、早めに出かけて芦ノ牧温泉駅の駅長ばすの活躍ぶりを見に行くことにした。メスでチンチラとトラ猫のミックス猫だという。平成11年6月に子ども達が迷い猫を駅に連れてきたことがきっかけで駅舎で寝泊まりするようになったらしい。

 11月下旬の会津は寒く、山々はうっすら雪化粧していた。芦ノ牧温泉駅は湯野上温泉駅から二つ目。改札を出て待合室に行くと座布団の上でボロぞうきんのように寝ているバスがいた。写真で見た精悍な顔つきと目の前の寝姿の落差が大きい。10歳だから決して若いとはいえないし、寒さもこたえるのだろう。

 いずれ起き出すだろうから昼飯でも食いに行こう。駅から出て正面の通りを少し行くと「元祖会津ラーメン 創業八十余年」の「牛乳屋食堂」がある。もともとは「牛乳屋」だった由で、ラーメン屋もはじめたから牛乳屋のうしろに食堂をつけたという。なかなか繁盛しているようでラーメンを食べ牛乳を飲む。駅に戻るとバス駅長は相変わらずピクリともせずに爆睡中だった。そっとしておいてあげることにした。

 湯野上温泉駅へ戻って宿泊先の湯本温泉湯口屋へ。翌29日は二岐山に登った。

ボロぞうきん…いや「バス駅長」
駅長室
牛乳屋の猫