2010年8月21日

「妖怪・化け猫展」(平木浮世絵美術館)、豪徳寺ほか

「納涼 妖怪・化け猫」展へ

 猛暑続きのなか平木浮世絵美術館(江東区豊洲)で「納涼 妖怪・化け猫」展を観賞する(500円)。美術館は、ららぽーと豊洲の1Fにあるのだが、とてつもなくでかいショッピングセンターだ。展示されていた化け猫関係の作品としては歌舞伎の「岡崎の猫」に題材をとったものがほとんど。見たことがあるものが多く、あまり新鮮味はなかった。主な出品作は以下の通り(化け猫関連)。


歌川国芳 「五拾三次之内 岡崎の場」 天保6年(1835)
歌川国芳 「見立東海道五拾三次 岡部 猫石の由来」 嘉永期(1848−54)
同「昔ばなしの戯 猫又年を遍古寺に怪をなす圖」 弘化4年(1847)頃
歌川国貞(豊国Ⅲ) 「岡崎八ツ橋村の妖怪 玉嶋逸當 猫石の変化」 嘉永期(1848−54)
歌川国周 「東海道五十三次 岡崎 尾上梅幸の猫石の怪」 明治4年(1871)
楊州周延 「二嶌実ハ両尾の古猫」 明治20年(1887)
 

 化け猫以外にも猫の登場する浮世絵をみたかったが、「にゃんとも猫だらけ」という企画展が2006年に開催されていた。カタログを売っていたので購入する(1500円)。

白金の自然教育園で涼む

 妖怪浮世絵では納涼にならず、以前から行きたかった国立科学博物館附属自然教育園(目黒区白金台)に転進。正門は東京都庭園美術館の隣で入園料は300円だ。広大な白金台地に豊かな自然が残る都会のオアシスである。落葉樹・常緑樹に広く覆われ、池や小川もある。「白金長者」という言い伝えを残す豪族の土累も残っている。大きな樹木に囲まれた園内にいると、東京のど真ん中にいることを忘れさせてくれる。ただ隣接して走る高速道の騒音が少し気になった。

招き猫のルーツの一つ・豪徳寺へ

 自然教育園散策は十分に満足したが、やはり猫関連史跡に行きたくなった。日が長いのでもう一がんばりすることにした。渋谷から井の頭線経由で小田急線豪徳寺へ向かう。豪徳寺駅を降りると大きな招き猫の石像がある。高校生が群がっていてシャッターチャンスがない。とにかく豪徳寺へ急ぐ。

 山門をくぐると参道左手に招福観音堂があり、手前右に猫絵馬、左奥に招き猫の奉納所がある。また、招き猫のルーツとなった伝説で彦根藩二代目藩主・井伊直孝を雷雨から救った猫(たま)の墓もある。夕刻だったので蚊がたくさんいて油断するとすぐ刺される。タンクトップにホットパンツ姿の外国人女性が招き猫や絵馬の写真を熱心に撮っているが、群がる蚊に対して全然平気なのが不思議だった。招福殿で招福猫児の一番小さい3号を求めてから井伊家の墓所にも行ってみる。直孝の墓は正面で、桜田門で暗殺された直弼は左手奥に眠っている。

招福観音堂入り口の招福門
招福観音堂に飾られた招福猫児や御札
招き猫奉納所の左に「たまの墓」 

 豪徳寺商店街の招き猫はほとんどが豪徳寺で売られている猫だった。なお、自治体ゆるキャラとして絶大な人気がある滋賀県彦根市のひこにゃんは「彦根の、にゃんこ」を略した愛称だが、彦根城築城400年記念イベントのイメージキャラとして平成19年(2007)に生まれた。なぜ猫なのかというと、豪徳寺の招き猫伝説にあやかっているからである。ひこにゃん公式サイトのプロフィールによると「彦根藩二代目藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる“招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたきゃらくたー。」と説明されている。


商店街にも豪徳寺の招福猫児
ほとんどが豪徳寺猫

招福猫児の由来(招福猫児の説明書)
東京都世田谷区豪徳寺二丁目の豪徳寺は、幕末の大老 井伊掃部頭直弼公の墓所として世に名高く、寺域広く、老樹爵蒼として堂宇荘厳を極め賓者日に多く、誠に東京西郊の名刹なり。
されど昔、時は至って貧寺にして二三の雲水修行して、漸く暮しを立つる計りなりき。時の和尚、殊に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割て猫に与え吾子のように愛育せしが、或日、和尚猫に向かい
「汝、我が愛育の恩を知らば 何か果報を招来せよ」 と言い聞かせたるが、其の後幾月日が過ぎし、夏の日の昼下がり、俄かに門の辺り騒がしければ、和尚何事ならんとて出てみれば、鷹狩の帰りと思しき武士五六騎門前に馬乗り捨てて入り来り、和尚に向かい謂えるよう「我等、今当寺の前を通行せんとするに、門前に猫一匹うずくまりて居て我等を見て手を上げ、頻りに招く様のあまりに不審ければ訪ね入るなり、暫く休息致させよ」とありければ、和尚いそぎ奥へ招じ渋茶など差出しける内、天 忽ち曇り夕立降り出し雷鳴り加わりしが、和尚は心静かに三世因果の説法したりしかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむ、やがて「我こそは 江州彦根の城主 井伊掃部頭直孝なり 猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かること是れ偏へに仏の因果ならん 以来更に心安く頼み参らす」とて立帰られけるが、是れぞ豪徳寺が吉運を開く初めにして、やがて井伊家御菩提所となり、田畑多く寄進せられ一大加藍となりしも
全く猫の恩に報い、福を招き寄篤の霊験によるものにして、此寺一に猫寺とも呼ぶに至れり。
和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其の冥福を祈り、後世この猫の姿形をつくり招福猫児と称へて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、商売繁盛、心願成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。
                                      曹洞宗 大谿山 豪徳寺