また、見そこなってしまった。展覧会や美術展は、「そのうち、そのうち」と結局、最終日になってあわてて行ったり、チケットを買っておけば絶対行くだろうと思っても、気づいたらすでに終わっていたなんてことがよくある。
今回も「畦地梅太郎版画展」の案内はがきをカバンに入れっぱなしだった。会場の新宿小田急ではよく小規模な畦地展を開くのだが、昨年秋も見逃していたから気をつけていたつもりだったのに。通勤途上だから、いつでも立ち寄れる気持ちがあだになる。案の定、最終日(15日)になって6時少し前に駆け込もうとしたら、無情にも入り口には「5時半で終了」のお知らせが…。次の展覧会の入れ替えがせわしく始まっていた。販売も兼ねた展覧会なので、衝動買いすることもなくてよかったか。
大抵の畦地版画は、20年ほど前に町田国際版画美術館での大規模な回顧展で見ているし、その図録もある(町田市で晩年を過ごした畦地は、市に多くの作品を寄贈した。常設展もよく行われる)。欲しい作品はいくつかあるが、すでに本人刷りの2点を所蔵済み。当HPにも、一番のお気に入り『ものの気配』(1973、23.6×17.8cm)を張り付けているが、これは調布市の画廊で購入したもの。最初に買ったのは25年ほど前、やはり新宿小田急での大規模な版画展だった。7、8年前まで自室にかけてあったが、いまはクローゼットにしまいこんである。
それは『圏谷に立つ山男』(1967、40.5×31.5cm)という題。カールを背景にピッケルを握りしめた山男が立っている。それだけの単純な構図だが、山へ向かう強い意志が感じられる。畦地の描く山男はとぼけ顔かおっとりタイプが多い。圏谷の山男はキリリとしている。ちょうど30代半ばの頃、再び猛烈に山に向かいたい気にさせてくれた作品だ。相対して自問自答するにはピッタリなのだ。
この版画の山男を見て、母はずっと「猫」だと思っていたらしい。ヒョロリとした姿は、猫というよりもカワウソみたいだ。
いまこそ、この版画が再登板する状況なのか。でもエネルギー溢れていた30代とは全然違う自分であることは百も承知。いい加減見飽きた風景写真のパネルをはずして、また「猫もどき山男」の版画を掛けて自問自答を楽しもう。