生まれたて子猫殺しを告白した某直木賞作家が、ついに在住地タヒチの管轄政府から動物虐待で告発されるかもしれないという(発端は8月18日付の日経夕刊コラム)。生命倫理がどうのという以前の胸くそ悪い話に、猫を飼わない身としてはトラウマのような体験を思い出し、切ない気持ちにさせられる。それが40年前の話だとしても…。
当時の我が家の飼い猫はペットという存在じゃなく、あくまでもネズミ対策であった。冬のこたつで猫と戯れたりするが、ふとんに入れることは禁じられた。
あるとき数匹の子を納屋で生んだのだが、父がすぐ取り上げて近くの川へ捨てに行った。母猫の狂乱ぶりはすさまじく、子を探して家中を絞り上げるような鳴き声で探し回った。様子を恐る恐る伺っていたこちらに気づいて猛然と向かってきたときは、「ごめん…」とつぶやいて扉をぴしゃりと閉めた。そのときの母猫の形相は、鳥肌が立つほど怖かったことを今でも思い出す。しかし、意を決して?扉を開けて叱りつけると、「フニャ〜」と力なく鳴いて、まるで憑き物がおちたようにおとなしい猫に戻っていた。家につくといわれる猫の切り替えの早さだった。
その後しばらくして、この飼い猫は農薬にでもあたったのか、死んでしまう。夜、全身をけいれんさせながら家に帰ってきたので、毛糸を入れた段ボール箱を出窓においてやると、死期を悟ったようにすぐさま中に入って丸くなり、そして朝には硬くなっていた。亡きがらは川が分岐する三角洲の段丘に埋め、父と線香を焚いて手を合わせた。
猫がいなくなった我が家では、再び油揚げを餌にしてネズミ捕りをかけた。捕ったネズミを川へ行って始末するのが、早朝の自分の役目だった。カゴごと水に漬けてもネズミはなかなか死なず、強力な歯でカゴの針金を食いちぎろうともがいた。カゴを持つ手に、大きな魚を釣るときのような手応えを感じた。その生命力に驚きつつ、何回か漬けたり上げたりして、弱っていくさまを凝視した。そして、力尽きたヤツを川に放してやるのだった。
子猫の川流し…こんなことは、かつて日本の山村・田園地帯でごく普通だったのだろうか? 他の家ではどうしていたか知らないし、聞いたこともない。自分が暮らしていた平野部では「川流し」だったが、山間部では直木賞作家がやったように「崖落とし」だっただろう。
実際に、そんな風習を示す例が地名として残されている。神奈川県には「ネコッコロバシ」、大分県には「ネコオトシ」という「猫の捨て場」とされる地名があるという。明らかに子猫を処分するために投げ捨てる崖の存在を意味する。京都市の東寺の南東端を通称「ネコの曲がり」というのも、かつて猫の捨て場だったからだと本で読んだことがある。
それにしても、寂しさを癒すために猫と暮らす一方で、いまどき「いらぬ子猫の崖落とし」とは…。坂東眞砂子という人は「山妣」(やまはは)ならぬ妖怪作家であるな。