個人宅で守られてきた猫地蔵尊
秩父は養蚕の盛んだった地域で、蚕神としての猫の言い伝えや神社がいくつかある。長瀞町の猫地蔵尊は個人宅に祀られている珍しい猫神である。言い伝えでは、厠についてきた猫の首を切ったところ蛇に食らいついて妻女を守ったので、猫の供養のために地蔵を安置した。300年以上も守り続けているが、養蚕が盛んだった頃は鼠除けに参詣する農家が多く、今では主に安産・交通安全祈願だという。
秩父鉄道野上駅から彩甲斐街道を南下して消防署分署から右折、十字路で散歩中の男性に尋ねると親切に教えてくれた。昔は養蚕の盛んな時代でよく猫地蔵に参拝にきていた。今はこの町でも数件しか養蚕はやっていないとのこと。左の道(旧道?)を50mほど行くと左に猫地蔵の小さな看板。青い屋根が見えてそれだと分かった。庭におばあさんがいたので確認する。大きな岩に猫地蔵と刻んである。拝観をお願いすると快く扉をあけていただいた。物置小屋のような建物で間口1・5m、奥行き2mほど。物置としても利用しているようで、大きなカメや石油貯蔵のドラム缶も入っている。奥正面の台に鎮座した猫地蔵尊は高さ約30センチで優しいお顔をしていた。赤い頭巾と前垂れをかけ彩色ははげかかっている。下の台座には黒光りした木彫り猫?が横たわっていた。招き猫が20体ほど並べられ、右下には色あせた絵馬が二枚おかれていた。かろうじて大正十二年と読みとれる。猫の絵は消えかかっていた。以前はもっとあったが雨漏り等で痛んでしまったらしい。
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300年を経た猫地蔵尊 |
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台座に黒い木彫り猫? |
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大正12年奉納の猫絵馬 |
猫地蔵尊はかつては家の中にあったが、地蔵のところが雨漏りがする。これは元の屋敷に置いてあった場所に戻りたいということなのだろうということで、旧屋敷に安置されていたところに小屋を建て安置し直したらしい。それでわざわざこの小屋があるのだった。これは新たな伝説だ。
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旧屋敷の安置場所に戻すため小屋を建てた |
野上駅に戻ると駅前で宮澤賢治の歌碑を見る。石っこ賢さんは秩父にもきていたのだ。大正5(1916)年、盛岡高等農林学校2年(20歳)のとき地質調査のため秩父地方を訪れた。
盆地にも今日は別れの本野上 駅にひかれるたうきびの穂よ 宮澤賢治
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宮澤賢治の歌碑 |
ツツジの季節が素晴らしい岩根山
駅員によれば岩根山のつつじ園がすばらしいとのこと。ここから歩いて1時間ほどだから季節はずれだが岩根神社に行くことにする。神社には蚕神像があり、もしかしたら猫の像もあるかもと期待する。秩父鉄道を渡り荒川に架かる高砂橋を渡って左折。やがて岩根神社徒歩道の道標がある。いったん車道に戻るが再び徒歩道入り口から山道となる。手入れがよく歩きやすい。一汗かいて一段と紅葉がきれいなところが岩根神社の社務所前だ。真っ赤な紅葉がすばらしい。
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岩根神社社務所前の紅葉 |
猫顔に見える蚕神像
社務所脇から車道に上がると白い鳥居があり、急な石段の先が岩根神社だった。つつじ園の眺めがいい。秩父らしく狛犬は狼のようである。社殿の背後は岩壁が迫っていて崩壊防止のためコンクリートが吹き付けられていた。猫の石像もあるかと期待したが、周囲を探しても見当たらない。蚕神像は社殿真後ろの岩壁のくり抜きに鎮座していた。頭には蚕蛾、左手に桑の木、右手にマユを持っている。顔は人顔だがよく見ると猫顔で、少し怖い印象。守り神としての猫をイメージして作られたのではとも思われる蚕神だ。
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背後の岩に蚕神像がある |
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蚕神像 |
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猫顔に見えてしまう |
社務所のある谷を隔てた尾根上にも神社があるのでそちらにも登ってみた。春にツツジの花が山を覆うように咲く景色は見事だろう。往路を戻って高砂橋を渡り、桜並木の街道を長瀞の岩畳へ向かう。隣町にある大日神社(皆野町)も御神体は猫石で興味が湧くが、かなり歩くので別の機会に回すことにした。例大祭がある5月5日には御神体も拝観できるし、御札もいただける。狛猫のある城峰神社と組み合わせて来てみよう。秩父地方は山小屋建設などで何度も通い続けたが、あらためて山裾を歩くだけでも面白いところだと実感する。
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長瀞の岩畳から川下り船を見送る |
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そろそろ猫の気配が |
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おすまし子猫 |
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運良くSLにも出会えた(秩父鉄道長瀞駅) |