2010年9月18日

飯土井の猫山(群馬県前橋市)

「踊る猫」の猫山伝説

 実際に存在した伝説の猫山が、いまやその面影すらなくなってしまった残念な事例である。

 「飯土井の猫山」は、前橋市飯土井に実在した。伝説によると「祐庵という医者が、飯土井を通りかかったところ猫が踊っており、その中に自分の飼い猫も入っていた。それからこの辺りを猫山と呼ぶようになった」と、その由来がある。さらに調べてみると、この地区の二之宮小学校には地域に親しみ郷土愛を育むための教材資料として二之宮カルタが昭和55年に作られ、「ね」には「猫山に立った 開田記念碑」と読まれていることがわかった。

 二之宮カルタ解説抄によると、「猫山は、飯土井町の井出上神社から東へ200m程のところにあった小高い丘である。猫山は、飼い猫を捨てた山なので、猫捨山が猫山になったのだろう。沢山の岩石が在ったのであるが大正4〜8年ごろ石工が掘り出したため、南半分は池になっていた。
 開田記念碑はその池の袂に立てられたものであった。この辺りは畑であったが、大正用水が完成し、水が豊富になったために水田になったものである。「もっと米を」これは畑作農民の重要課題である。水田ができたために、飯土井町の供出米が200俵足らずであったものが600俵を越すまでになった。この大事業を記念して猫山に碑を立てたのである。(以下略)」(「二之宮町自治会ホームページ」より)とより詳しく猫山について説明されている。

 現在、猫山と呼ばれた小高い丘はなくなってしまい、池の袂に立てられたという開田記念碑を探すことがポイントになりそうだ。詳しい地図を見ても、それらしき場所を指し示すものはない。現在はどのような状況になっているのだろうか。

猫山の場所を示す「開田記念碑」とは

9月18日 9月中旬だというのに厳しい残暑が続いている。両毛線駒形駅から地図を頼りに井出上神社まで徒歩約1時間かけて13時着。途中、「二之宮カルタ」を作った二之宮小学校に差し掛かると、賑やかに秋の運動会が行われていた。上武道路(国道17号)脇の小さな赤い鳥居から井出上神社境内に入る。掲示されている神社由来の「井出上神社誌」によれば、「井出上は、いずみ湧く上に鎮座せる意味であり、在も赤城山の伏流水が湧き出て神泉池を満している。」とされている。南側にはその通り神泉池があった。

井出上神社
赤城山の伏流水が湧き出る神泉池

 神社の東200m先に開田記念碑があるはずなので、上武道路に沿って周囲も見回しながら進んでみたが、それらしきものは見当たらず。上武道路の北側は工業団地のようで、小高い丘などもちろん見あたらない。仕方なく戻るように、神社東南の木々のこんもりとした集落を歩いてみる。庭先にいたおばさんに訊ねたが記念碑のことは分からないと言う。しかし、畑で農作業中の70代らしきおじさんから詳しくを聞くことができた。

 まず記念碑については、よく分からないが上武道路の北側に池(飯土井池)があり、墓地がある。そのあたりにあるのではという。猫山についてはよく知っていて、具体的に聞くことができた。猫山があったのは、上武道路の北側の西濃運輸となっているところだという。やはり神社の東200mの位置というのは一致していた。完全に小高い丘は削られて運送会社営業所となってしまっていたのだ。二之宮カルタ解説抄の内容通りで、採石をして大きな穴になり、そこに水が溜まって池になっていた。周りには松が生えていて怖いところだった。猫を捨てるところで、エサと一緒に置いてきたものだという。沼に放り投げるのかと思ったが、そんなことはしないと強調していた。

上武道路の向こう側にかつて猫山があった

 しかし、西濃運輸が猫山の場所として一致する一方、猫山にあるという開田記念碑については、神社北側の飯土井沼付近ではないかという答えに少々混乱する。とにかく飯土井池を一周し、墓地も確認したが記念碑はなかった。次に西濃運輸の広い敷地に沿って一周してみる。猫山の名残は何もなかった。途方にくれかかったが、原点に帰り井出上神社に再び行ってみると、最初気にも留めなかった入り口右手にあっさりと記念碑を発見。まさに「飯土井開田記念碑」であった。おそらく西濃運輸が進出した際、井出上神社に移設されたものであろう。

猫山から移された飯土井開田記念碑

遠ざかる「猫山」の記憶

 この猫山には養蚕神としての役割もあったようだ。上武道路は昭和60年に開通したが、それまでは水田のほか桑園が広がる静かな地域だった。『養蠶の神々 蚕神信仰の民俗』(阪本栄一著、群馬県文化事業振興会)によると、猫山には猫観音という石宮もあり、明治期末頃までは観音様には神楽殿があり、祭りに神楽が行われた。猫が居着かない、あるいは死んでしまったりすることがあると猫観音に祈願したという。話を聞いたおじさんは、猫観音のことには触れておらず、石宮などは5、60年前にはすでになくなっていたのだろうか。地元古老の複数の証言がほしいところだ。

 駒形駅に戻る途中、道ばたで自家ぶどう園の巨峰を売っていた老人に聞くと、猫山というのがあったということは知っていた。地域からも「飯土井の猫山」の記憶は消えつつあることを実感させられた。