芭蕉が詠んだ俳句に幻想的な猫山句がある。何とも不思議な句で、初めはどういう意味なのかよくわからなかった。
山は猫ねぶりて行くや雪の隙
注釈書によると、「この山は猫山という名をもつだけあって、猫が自分の身を舐(ねぶ)るように、その山肌に積もった雪をねぶりねぶりして、とうとうあのようにところどころ雪がむらぎえになったものであろう」という意味になる。
残雪模様を山名の猫にかけて、幻想的な句に表現した。ここでいう猫山とは会津の猫魔ケ岳を指す。芭蕉が38歳(天和元年、1681年)頃から40歳(天和4年、1684年)頃までの間の作とされ、底本は「陸奥名所句合天和年中」に出した。
季語は「雪の隙(ひま)」で春。「山」と「ねぶる(眠る)」をかけ合わせると冬の季語「山眠る」ととれるが、残雪の山であることは明らかなので、季節はやはり春であろう。
芭蕉が現代に生きているならば、「この山で儲けようとする人間の手によって、ねぶりねぶりされてブナ林がむらぎえになってしまったものよのう」と嘆き詠むのだろうか。猫魔ケ岳は表も裏もスキー場となっている。数百年の沈黙を破って化け猫の怨念が吹き出さないとも限らない。
そういえば今年夏、この山で小学生が下山中に行方不明となって捜索隊が出た。ついに化け猫さまが長い眠りからさめて人間どもを惑わしたのかもしれない。ただし、相手が子供ということで一晩だけ山にとどめただけで帰してくれた。猫魔ケ岳の主の警鐘と受け取った。